鶴見界隈(3)日本鋼管の機関車達



 日本鋼管鶴見製鉄造船には怪しい機関車が数多くいるという情報があり撮影に出かけた。工場内に立ち入ることは許可されず、姿を留めているはずのダベンポート製の11号機を見ることはかなわなかった。
 ボールドウイン製の9号機(10号機かも)の姿も、守衛氏の目をかすめて塀によじ登り、彼方にそれらしいシルエットを見ただけで、撮影はできなかった。
 9号機は、現在は綺麗に復元され、明治村で動態保存されているのは誠に喜ばしい。奇しくも3年後に羽後交通雄勝線で見たハフ11〜13と編成を組んで走ることになるとは、当時は思いもよらなかった。
 9号機の近くには蒸機の煙突らしきものが見え、かすかに煙が上がっている。きっとクラウスの12号だ! こいつが外に出てくる可能性がある。
 工場内に入れないからには、工場から出てくるのを待つしかない。鶴見線の弁天橋から浅野にかけての間は、日本鋼管の専用線が並行していて、日に何度かここを蒸機が走るらしい。
 守衛氏に聞いても、時刻は未定でその日に走るかどうかもわからないと言う。やむなく弁天橋駅のホーム上の待合室で、何時、どちらから来るともわからぬ列車を待つことにする。


やっと姿を現したクラウス
やっと姿を現したクラウス
 1時間ほど待ったが何も来ないので、ベンチでうたた寝をしていると遠くで「ピョッ」という汽笛! 我ながらこういうときの反応は鋭い。カメラを抱えて飛び起きるとクラウスの12号機が無蓋車を牽いてゆっくりと近づいてくる。
 初めて見る生きた輸入機だ! 興奮してシャッターを切りまくる前を、小さくてもドイツ製だぞといった風情で、体に似合わぬ大きめの動輪をゆっくり廻しながらクラウスが通り過ぎる。


日本鋼管鶴見製鉄造船12号1907年 KRAUSS製
日本鋼管鶴見製鉄造船12号
1907年 KRAUSS製
「溶滓車」を牽くDLの列車
「溶滓車」を牽くDLの列車
L型DLの牽く溶滓車
L型DLの牽く溶滓車

また必ず戻ってくると読んで、今度は鶴見よりの踏切で待つことにする。TMSスタイルブックの図面で見た「溶滓車」を牽くDLの列車が2回通り過ぎるが、なかなかクラウスは戻ってこない。
2時間ほど待ったところでようやくあの汽笛! バック運転のクラウスが古めかしい木造の無蓋車を牽いて戻ってきた。
 鶴見線の踏切内でカメラを構えていたのだが、折悪しく遮断機が降り始めた。やむなく専用線に近づいたので、横からのアングルでは撮せなかった。

バック運転の12号1907年 KRAUSS製
バック運転の12号
「怪しい無蓋車
怪しい無蓋車
協三工業製の産業型
協三工業製の産業型

 その後、浅野に移動して協三製の産業型ロコを見に行ったが、こいつはいつも表に出ているし、クラウスに比べると 魅力に乏しく、さらっと写しただけで家路についた。


 クラウス製の12号機は、汚れてはいたが、製鉄所の機関車としては例外的に原形を良く残し、 煙突、安全弁などには改造の跡が見られたが、ドイツの香りを漂わせていた。
 形態的には、煙突の真下に先輪があり、スチームドームの真下にシリンダがくるなど、 重心が前にずれているようでどうもアンバランスに見えた。
 C型機にすれば良いバランスなのに・・と思っていたら、機関車研究の大家、故臼井茂信氏が、著書の中でこの機関車について述べていた部分があった。
 以下、臼井茂信著「機関車の系譜図2」-交友社刊-から抜粋させていただく。

<クラウス>の変り種は、青梅鉄道が軌間改築に備えた1907年製の1B形タンク4両である。
先輪の位置が煙突中心線より後位にあるのはまだよいとしても、シリンダがさらに後方にずれ、缶だけが先走った姿をしていた。イギリス形やアメリカ形を見慣れた目からは奇異に感ずるが、ドイツでは時折このように間延びした設計をためらわずに実施し量産もしていた。(中略)
短距離の軽列車用に開発され、足廻りに対し煙管の長い缶を乗せる手段でもあった。


 う〜ん! なるほど・・・論理的!  しかしながら、趣味的にはこの上回りに、シリンダを前にずらしたC型機のフリーランスモデルを作ってみたい。もちろん第3動輪にロング・メインロッドを掛けて・・・