2. 模型店別車輌発売状況

2-1 カツミ模型店(1) −蒸気機関車(シュパーブ・ライン)−

 カツミは戦後輸出製品やOゲージの日本型製品を中心に生産していました。 HOサイズの日本型としては1959‐1960年(昭和34‐35年)に7100型蒸機(弁慶)やC51、 良質のED70の販売を開始していたに過ぎませんでした。 そのような状況の中で1961年(昭和36年)に安達製作所が製作したD51がカツミから発売されました。 このD51から始まったシュパーブ・ラインと名付けられたシリーズは、その精密感やスケール、 印象把握、模型としての構成等において、 まさに当時の16番の日本型蒸機の常識を変える画期的な製品でした。 現在の模型のレベルに慣れた目から見ればまだまだのレベルかも知れませんが、 この製品が今から半世紀近く前のことであることを考えると、 これがどれくらい筆者のようなファンの心をつかんだかは容易に想像して戴けると思います。 そのようなわけで今回はこのシュパーブ・ラインの蒸機シリーズをご紹介したいと思います。

D51量産型 (シュパーブ・ライン)
  発売年:1961年(昭和36年)
  販売価格:組立済未塗装キット
    上廻り ― ¥2,100
    下廻り ― ¥2,200
    シリンダー・先・従台車 ― ¥1,450
    テンダー ― ¥1,400
カツミ模型店 シュパーブライン D51量産型

 1961年(昭和36年)当時は¥5,000以上の鉄道模型製品には10%の物品税が掛けられていたため、 未塗装キットは上記のように部分毎に分けて発売されました。 キットが入った箱も黒と銀色の高級感のあるもので、 その蓋を開けるときは宝石箱を開けるような気分でした。
 このD51はその後のシュパーブ・ラインの蒸機シリーズの基礎となった製品ですので、 やや詳しくご説明しましょう。

下廻り
下廻り

排障器は先台車に取付
 主台枠はプレス抜きの真鍮厚板でカシメと半田付けで組立てられており、 モーターが載る模型としての主台枠後部部分は真鍮鋳物製で、これが主台枠にビス止めされていました。 動輪には市販の日本型蒸機としては初めてオイルレスメタル製の軸箱を使い、 コイルバネによる軸箱可動となっていました。 初期の発売分は動輪の輪心が真鍮ドロップ製(後にダイキャスト製)でタイヤはメッキ済、 ロッド類もドロップ製で溝がついており、いずれも形態は優れたものでした。 真鍮板の動輪の押え板はフラットで、この製品ではまだブレーキシューは省略されていました。 初の軸箱可動蒸機のため素人にはその組立・調整が難しいと判断されたためか、 キット販売時には主台枠、コイルバネを入れた動輪と押え板、 サイドロッドは既に組立済みとなっていました。 モーターは当時のカツミの標準である棒型のDH13を主台枠後部にゴム板を挟んでビス止め、 スリーブ、ビニールチューブを介してギアーボックスで第3動輪を駆動していました。 この調整は結構微妙だった記憶があります。 ダイキャスト製のギアーボックス内のウォームホイールは40枚のベーク製で、 動軸の押えはまだギアーを覆うものでなく剥き出しになっていて完全な密閉型ではありませんでした。
 シリンダーカバーは実感的に仕上った薄板のプレス製で、前後のバルブ蓋等は挽物、 ドレインコックは省略されています。 観賞用として挽物のピストン尻棒受けがネジで着脱できるようになっており、 運転時は取り外していました。 シリンダー上部から主台枠へ伸びた罐支え棒は先端に4個のリベットまで浮き出していて 精密感を盛り上げています。初期の製品で残念だったのはスライドバーに溝が無かったことで, プレス製でのっぺりしたクロスヘッドとともに他の部分に比べやや見劣りがしました。 モーションプレートは綺麗にディテールが表現された真鍮ドロップ製で、 これも良く出来たリターンクランクやバルブギアーとマッチしていました。 リターンクランクの動輪側はクランクピンにビスで締付ける実物に似た構造になっていましたが、 厚みも含めていささかオーバースケールで形態的にももう一つでした。 先台車はプレス製でその後部はイコライザーを模した格好になっており、 シリンダーの下から反対側が透けて見えるのを防いでいます。 実物では排障器はフロントエンドについていますが、 模型のきついカーブで排障器の位置がレールから大きく外れるのを嫌ってか、 この製品では先台車についていました。 従台車は実物の主台枠後部部分と一体として首を振るようにした真鍮ドロップ製で、 構造的にはやや違和感がありましたが、模型としての良好な走行性能には代え難く、 以降標準的な手法になりました。先台車、従台車とも柔らかいコイルスプリングによる復元装置があり、 どちらも良くできたダイキャスト輪心のスポーク車輪をつけていました。

上廻り
公式側キャブ下は淋しい

 ボイラー部は帯やリベット等をエッチングで適度な大きさに表現した真鍮板を丸めて作られていますが、 火室部のテーパーは表現されていません。 キャブも窓枠等をエッチングで表現したパーツに屋根板をかぶせ、 前面および側面の庇はプレスパーツの半田付けでした。 ドームは砂箱の蓋も含めてプレスで美しく表現、煙突、給水温め器、前照灯、発電器、安全弁、逆止弁、 泥溜、エアータンク等は挽物で作られ、 ロストワックス部品は輸出品の流用と思われるやや小ぶり(1/87?)のエアーコンプレッサーと給水ポンプ、 汽笛のみでしたがごく初期の製品には安全弁もロスト部品が使われていたようです。 煙室扉部はドロップ製で煙室扉ハンドル、取っ手やヒンジが表現されています。 前部のエンドビームには4つの小さな真鍮プレス製のステーが半田付けされており、 これに真鍮線のカプラー開放テコが取り付けられています。連結器はダミーの自連です。 除煙板はエッチングで縁取りをしたパーツで、 ランボードは網目板が使われ下部の縁取りは実物どおり帯板が半田付けされています。 主要な配管は真鍮線で施され精密感を盛り上げていますが、空気作用管は省略されています。 火室下部はプレスでリベットを表現した真鍮薄板製で、 公式側のキャブ下は空気分配弁等がほとんど省略され、 上回りの精密感とはややちぐはぐで間が抜けた格好になっていました。

テンダー
 上廻りは、縁取りや前面の工具箱蓋等をエッチングで表現した真鍮板を折り曲げて、 半田付けで組立てられています。給水口は挽物で、テンダー前面の手すり、 手動ブレーキや後面の梯子は真鍮線で形よく作られ、カプラーの開放テコもついています。 機関車本体との距離を縮めるためか台枠はD51一次形のように前後の長さが短いものでした。 台車は形のよいドロップ製でダイカスト製のスポーク輪心の車輪を履いており、 センターピンはコイルバネを入れ集電性能の向上を図っています。 床下にはチャンネル材のフレームがとおり、 挽物のブレーキシリンダーがついていますがロッド類やパイピングは省略されています。 床上には浮き上がりによる集電不良防止のため小型のウェイト2個をネジ止めするようになっていましたが、 ウェイトなしでもかなりの重量があり、 牽引力をロスすることもあってウェイトは必要なかったような気がします。

その他
 キットにはスケールの良い10種類のナンバープレートがつき、 TMS山崎喜陽氏の手による解説書と一枚の組立て図が添えられていました。 数年後に発売された改良製品ではスライドバーに溝がつくとともに、ブレーキシューが取り付けられ、 クロスヘッドがドロップ製になり、汽笛も挽物に改められました。
 ここに掲載した写真のモデルは初期の製品で渋谷の東横百貨店で求めたものです。 後年に改良部品が分売されたため、スライドバーを溝つきのパーツに、 クロスヘッドをドロップ製に交換しました。

初期のキット説明書

キット組立図

C62 (シュパーブ・ライン)
  発売年:1963年(昭和38年)
  販売価格:組立済未塗装キット ― ¥11,000

 D51の発売から2年経過した1963年(昭和38年)、 シュパーブ・ラインの第2弾としてファン待望のC62が発売となりました。 この製品では品質が一段の向上を示し、 プラスティック製のブレーキシューが動輪押え板に取付けられたのを初め、 スライドバーにも溝がつき、ロストワックス製のパーツも増えました。 ここではD51との相違点を主にご説明したいと思います。
 模型としての主台枠後部部分はD51では真鍮鋳物製でしたがこれがダイキャスト製に変わり、 主台枠、シリンダーカバー、モーションプレート、 先従台車枠およびテンダー台車は黒メッキされていました。 可動部分が含まれることから塗装による不具合の発生を嫌ったためかと想像されますが、 さすがにメッキのままでは塗装をした上廻りとの違和感は否めませんでしたので、 大多数の方は塗装されたと思います。 先台車枠は組立てると車輪に隠れて見えない軸箱周りまでも表現したドロップ製で、 これも二枚重ねのドロップで表現した従台車枠とともに下廻りに精密感を与えています。 先従輪の輪心は実物どおり二個の小穴を開けたプラスティック製の良品です。 先台車はコイルスプリングで、従台車は小さいウェイトで線路への追従性を増しています。 モーターは大型のDH15でギアー比は30:1となり、 ダイキャスト製のギアーボックスの動軸押えは密閉型となりました。 ボイラー内には大型のウェイトが付き、 模型でも文字通りの大型急客機として長編成の列車を高速で牽引することが可能でした。
 ロストワックス部品もエアーコンプレッサーや給水ポンプのみならず、 動力逆転機、キャブ下の空気分配弁や逆止弁等にも使われ、D51に比べ更に精密感を増しています。 非公式側のキャブ下などは今までにない充実感があり、うるさいファンも唸らせたと思います。 ランボードの下の縁取りはD51の帯板から、厚板をはり重ねて表現する方法に変わりました。
 テンダーの車体枕梁はダイキャスト製で台車はドロップ製、 カプラーポケット左右にはドロップ製の連結器枠が取り付けられています。 挽物の給水口を廻すと船底テンダーの上面部がはずれ、中にはウェイトが取り付けられます。
 キットに添付されていた説明書は文章が組立の順に組立図が分かれ、 分かりやすいものとなりました。特筆すべきことは、 真鍮板にエッチングにより表現した特急用のヘッドマークが銀色メッキして添付されていたことでした。 細かい着色をしなければならず、実際使われた方がどのくらい居られたか分かりませんが、 ファンの心理をくすぐる物でした。いずれにしてもこのC62はその時代の最高の製品であると同時に、 その後のシュパーブ・ラインの品質、さらには他社の高級製品の標準となった製品でした。




カツミ模型店 シュパーブライン C62


下廻り

軸箱廻りまで表現した先台車

キット組立説明書

キット添付のヘッドマーク

C53 (シュパーブ・ライン)
カツミ模型店 シュパーブライン C53

  発売年:1964年(昭和39年)
  販売価格:組立済未塗装キット
    上廻り − ¥3,750
    下廻り − ¥4,400
    テンダー − ¥1,800

 C62が安達製作所製作のシュパーブ製品として発売された翌年、 同じシュパーブの名前は付けられていましたがカツミ自身が製作したC53が発売されました。 基本的な設計は安達製品に準じていましたが、 動輪のバランスウェイトが三日月型でC53専用に作られたものではなかった等、 ファン心理の把握や全体の印象も他の安達製品と多少違っていたと感じたのは筆者だけでしょうか。 結局カツミ自身が製作したシュパーブはこのC53だけで終わりました。

D51一次型 (シュパーブ・ライン)
カツミ模型店 シュパーブライン D51一次型

  発売年:1964年(昭和39年)
  販売価格:組立済未塗装キット − ¥9,500

 1964年(昭和39年)D51の一次型、所謂「ナメクジ」が発売になりました。 初回の量産型D51との相違点としては、動輪輪心がドロップ製からダイキャスト製となったこと、 スライドバーに溝がつき、クロスヘッドがドロップ製に変更され、汽笛が挽物となったことですが、 ブレーキシューはまだ省略されていました。
 この製品の目玉であるナメクジドームはプレスで美しく表現され、 ボイラー前端の丸みなど実物の表情をうまく捉えた製品でしたが、 量産型に比べ小ぶりのキャブは表現されず量産型のものが流用されていました。 その後1966年(昭和41年)にはドームがキャブまで延長された「スーパーナメクジ」も発売されました。
 尚、C62までの説明書には、製作「安達製作所」、発売「カツミ模型店」と大きく書いてありましたが、 D51一次型は安達製作所の名が消え、単に「カツミ模型店」のみの表示となっていました。

D52・D62 (シュパーブ・ライン)
カツミ模型店 シュパーブライン D52

カツミ模型店 シュパーブライン D62
  発売年:1965年(昭和40年)
  販売価格:組立済未塗装キット − ¥9,950

 1965年(昭和40)はD52・D62やC12が相次いでシュパーブ・ライン製品として発売された年でした。
 D52はこの最大の貨物機の威容を見事に再現した製品でした。 全体のつくりはC62で確立した手法を踏襲し、特に目新しい部分はありませんが、 D型機としては初めてプラスティック(硬質ポリエチレン)製のブレーキシューが装備されました。 モーターはC62と同様大型のDH15を使い、大きなウェイトと相まって実物同様の強力機となりました。 この型式のメインロッドのビッグエンドは独特の丸い形状をしていましたが、 さすがにそこまでは表現されずD51のロッドを流用していました。テンダー台車はダイキャスト製で、 車輪の輪心も実物同様穴の開いたタイプをやはりダイキャストで再現しています。 D62の二軸従台車は新規にダイキャストで製作されています。

C12 (シュパーブ・ライン)
カツミ模型店 シュパーブライン C12

  発売年:1965年(昭和40年)
  販売価格:バラキット − ¥3,300

 それまで組立済キットとして発売されてきたシュパーブ・ラインの製品群にあって、 突如初の所謂真鍮バラキットとしてC12が発売されました。 このバラキットは模型店には並ばず直接カツミに予約購入する形態になっていたようですが、 カツミ主催で組立コンテストも行われました。どうも組立をする人手の不足が背景にあったようですが、 当時のファンにはバラキットという形態は目新しく、購入された方も多かったのではないかと思います。 印象把握も良く軸箱可動のタンク機の製品は初めてでしたが、 炭庫後面の中央部で左右を継ぐ設計になっていたため、 素人の工作ではどうしても継ぎ目が残ってしまうのは残念でした。モーターはDH13です。
 当鉄道でも欲しい型式ではありましたが、当時は蒸機バラキット組立の半田付けの技術もなく、 このバラキットの購入は見送りました。 暫くして主台枠やシリンダー・ボイラー・キャブ・ランボード等の 基本部分のみ半田で組立てた準バラキットが発売されたのでこれを購入、 部品を半田や接着剤で取付け一応完成させました。写真のC12はその後発売された完成品です。

C55・C57一次型・四次型 (シュパーブ・ライン)
カツミ模型店 シュパーブライン C55

カツミ模型店 シュパーブライン C57
  発売年:1966年(昭和41年)
  販売価格:組立済未塗装キット − ¥11,000

 C55はC57の一次型との共通点も多く同時に発売されましたが、C57よりも生産量は少なかったようです。 尚C57の四次型は既に1964年(昭和39年)に発売されていました。 C62との共通部品が一次型より多少多かったせいでしょうか。
 両機とも全体のつくりはシュパーブ・ラインの基本を守り、 C55は水かき付きスポーク輪心をダイキャストで新たに製作しています。 C57と共に従台車はダイキャスト製となりました。 モーターはどちらもDH13でC62と比べるとボイラーが細いためウェイトが軽く、 実物同様のライトパシとなりました。 ドームは両機の違いを作り分け、ランボード上には空気冷却管が美しく表現されていました。
 写真のC55は後年主台枠の幅をつめ、ニワ模型製の動輪を使用して13mm化したものですが、 動輪以外はほぼオリジナルのままです。 当クラブのS.S.がやはり13mmに改軌したC57はランボードの幅も詰めてあり、 ライトパシの雰囲気がよく出ています。

 この両型式がシュパーブ・ラインの蒸機としては最後の型式となり、 この後新たな型式の発売はありませんでした。個人的にはD50等、 発売を期待していた型式もあったのですが、筆者の世代で一般的にポピュラーな形式であった 8620、9600、C51、C56、C58、C59/60、D50/60等が対象に選ばれないままに終わりました。 (2007年9月 M.F)


写真をクリックすると拡大画像が表示されます