2. 模型店別車輌発売状況

2-4 天賞堂(1) −機関車−

 今回は天賞堂が1960年代に発売した機関車についてご案内したいと思います。
 1950年代後半より日本型の貨車の発売を始めた天賞堂は、 1962年(昭和37年)初めての日本型機関車として 小型B型電気機関車のEB10をプラスティック(エボナイト)の一体成型ボディーで製品化し、 同じ年に当時非電化区間の切り札として活躍していたディーゼル機関車DF50を発売しました。 翌1963年(昭和38年)には関門トンネル専用の新鋭機EF30を 当時の電気機関車模型の水準をかなり上回る高級仕様で製品化し、 価格も一気に跳ね上がりました。 しかしディテール豊かでエッチングで美しくコルゲートを表現した車体は ステンレス表現のため銀色に塗装され、 実感的な屋根上器具とあいまっていやが上にも高級製品を意識させました。 さらに1964年(昭和39年)に入換用のディーゼル機関車DD13と、 前年に活躍を終えたアプト式電気機関車ED42を発売しました。 DD13は中級製品を狙ったもののようですが、 天賞堂としては珍しく完成品とともにキットも発売しています。 1965年(昭和40年)には量産の模型としては初の日本型蒸気機関車として9600型と、 信越線で1963年(昭和38年)に活躍を始めた新鋭電気機関車EF62を製品化しています。 ここまで毎年話題となる新製品を発売していましたが、その後暫く機関車の新製品が無く、 1969年(昭和44年)になって、その後の大ヒット商品となる旧型電気機関車EF58を発売、 EF15がこれに続いて製品化されました。
 これらの製品群を見ますと、 EF58を発売するまではその機種の選択が必ずしもポピュラーな機種でなく、 一癖ある機関車ばかりであったのは興味深いところです。 天賞堂の製品は全体の印象としてやや線が太くがっしり作られているとともに、 スケールについても必ずしも実物どおりにスケールダウンするのではなく、 模型としての実感を重視していたのではないかと思います。 基本的には他社製品とは一線を画した高級製品を狙っており、 その後の天賞堂製品のイメージは既にこの時期に確立したようです。

1.蒸気機関車
 天賞堂は現在に至るまで全ての制式蒸気機関車を製品化し、 高級蒸機の代表メーカーとなっていますが、 1960年代は結局大正時代に製造された貨物用名機9600型が発売されたのみでした。

9600型


天賞堂 9600型

  発売年:1965年(昭和40年)
  販売価格:塗装済完成品 \11,000

 天賞堂の初期の広告を見ますと8620型と9600型の製品化が予定されていたようですが、 1960年代には9600型のみが発売されました。 この製品は特製品を除き天賞堂が発売した初めての日本型蒸気機関車でしたが、 全体の印象としては線が太く、9600のずんぐりむっくりした感じが良く表現されていました。 当時の蒸機の製品としては珍しく塗装済完成品のみの発売で、他の天賞堂の機関車製品と同様、 製品の写真が上面に印刷された美しい箱に収められていました。

 ボイラー部は、プレスでリベットが控えめに表現された真鍮板をプレス加工したもので、 ボイラーバンドは薄い帯板の半田付けです。蒸気およびサンドドームはプレス製で煙突は挽物ですが、 ドーム上の梯子は真鍮帯板と真鍮線を使い、半田で組み立てるという手間の掛かったことをしています。 前照灯、安全弁、汽笛、発電機、洗口栓、エアータンク、ハンドレールノブ等は全て挽物で、 ロストワックスパーツはエアーコンプレッサー位しか付いていません。 配管も適度に施され精密感を盛り上げており、ボイラー前面部は美しいドロップ製です。 キャブもリベットが美しくプレスで表現された真鍮板を半田で組み立てています。 全体の構造上で興味深いのはデッキ部が通常多く見かける上廻りではなく、 下廻り、即ち実物のように主台枠前部に取り付けられていたことで、 初めて上下を分解したときには意外な感じがしました。 そのデッキ部のエンドビームはドロップ製でリベットが強調され、 開放テコのみならず空気管までも付いています。

 主台枠部は厚手の真鍮板でがっちりと構成され、 動輪は輸出品の流用なのかスポークの形態が違うようでしたが、 動軸はコイルバネによる軸箱可動、 また当時のカツミのシュパーブのD51にも付いていなかったブレーキシューもプラスティックで表現され、 足回りを引き締めています。クロスヘッドとロッド類はドロップ製で実感的に表現されています。 動力は、台枠に固定された棒型モーターからゴムチューブを介して ダイキャスト製のギアボックスに伝動しています。 キャブ下左右の台枠には挽物のブレーキシリンダーとブレーキ梃子が取付けられています。 シリンダーカバーはプレスでディテールを表現しており、 シリンダー下部が膨らんだ独特の形状をしていますが、 シリンダー部の下にはドレインコックが真鍮線の組立により表現され、 これもシュパーブ製品には付いていないものでした。
 テンダーはこれもリベットをプレスで繊細に表現した真鍮板を半田で組上げています。 上辺の縁取りは甲丸線を半田付けしており、 エッチングでは表現できない立体感に富んだものとなっています。 台車枠はドロップ製でカチッと表現されており、好感の持てる仕上がりです。 エンドビームはドロップ製で、梯子は帯板と真鍮線の組立で作られており実感的な仕上がりを得ています。 後部にはライト掛まで付いています。
 この製品は天賞堂初の日本型蒸気機関車として多くの期待を集めましたが、 全体としてその期待を裏切ることのない手の掛かった作りで、 ディテールも多く高級ファンを満足させました。 シュパーブラインとは模型としての構成がかなり異なっていますが、 天賞堂らしいガッチリした作りで好感が持てました。 これだけ期待され注目を集めた製品であるにも拘らず、 何故かTMSの「製品の紹介」には取り上げられませんでした。
 写真の製品は公式側キャブ下に空気分配弁を取付け、 下廻りは13mm化のため全面的にツカサ模型店の製品に交換しています。

2.ディーゼル機関車
 1960年代、天賞堂はディーゼル機関車としては亜幹線用のDF50と入換用のDD13を製品化しました。

DF50

天賞堂 DF50

  発売年:1962年(昭和37年)
  販売価格:塗装済完成品 \4,990

 1962年(昭和37年)天賞堂は初の日本型本線用の機関車として、 当時未電化亜幹線区間の無煙化の切り札として活躍していたディーゼル機関車DF50を、 塗装済完成品として製品化しました。その価格は物品税の掛かる\5,000を切り、 高級な天賞堂の製品としてはファンの予想を覆す低価格での発売となりました。

 ボディーはプレスでリベットやドアを表現・加工した車体部に、 やはりプレスで運転室窓のHゴムや貫通扉を表現した前面部を、 側面ドアの前端部できれいに半田付けで接合しています。 側面のベンチレーターやラジエーター部は、一枚の薄い真鍮板にエッチングで表現し、 全体を銀色メッキ加工した後にラジエーター部のみ黒く塗装、 車体の塗装後裏面から接着剤で貼り付けています。 側面部の昇降用の手すりや前面の手すり、 更にワイパーまで真鍮線の半田付けで取付けられています。 屋上部はやはりプレスでリベットを表現したベース部にプレス加工したモニター部や 輸出向けの流用と思われるファンを載せています。 ランボードもプレスで取付足を表現した真鍮板を半田付けしています。 前照灯は米粒球で点灯しますが、尾灯はダミーです。 ボディーは運転室上部から前端に掛けての肩部が実物よりややなで肩になっているようですが、 全体としてはよく実物の印象を捉えていると思います。

天賞堂 DF50下廻り
 台車枠は良好なドロップ製で本体とブレーキ部を別々に加工・貼り合せ、 更に砂箱を別付けとして立体感を盛り上げています。車輪は12.5mmのスポーク製で、 伝動は当時の定石どおり縦型モーター(マイティ)に 20対1のウォームギア+インサイドギアを使っています。 発売時は当時の標準である1個モーターの2軸伝動で、 牽引力は不十分でしたが床板には2個モーター化用の穴が開けられており、 後に2個モーター化用のモーター・ギア・ウェイトのセットが発売されました。 床板は比較的薄めの真鍮板が使われており、 とくに2個モーター化した場合はやや強度不足の感がありました。 前面スカートやステップ、ジャンパー受はプレス加工品ですが、 台車間の床下器具は全くディテールのないソフトメタル製です。
 発売当初は茶色塗装のみで、 ナンバーはディカールにより白色で表現されDF50の501と502があったようです。 窓ガラスは取付けられていませんでした。
 いずれにしてもこのDF50は天賞堂初の幹線用機関車として多くのファンの期待によく応え、 価格も低く抑えられたため広く受け入れられたモデルでした。
 写真のモデルは2個モーター化後13mmに改軌していますが、 インサイドギア等も含めてオリジナルの部品を使用しています。

3.電気機関車
 天賞堂は1960年代の半ばまで、電気機関車については特徴のある形式を選んで発売していました。 小型のEB10、関門トンネル専用のEF30、アプト式のED42、信越線専用のEF62を製品化、 1969年(昭和44年)になって初めて幹線用の大型電機EF58を発売しました。

ED42

天賞堂 ED42

  発売年:1964年(昭和39年)
  販売価格:塗装済完成品 \4,990

 天賞堂は1964年(昭和39年)に、 その前年にEF63による粘着運転の開始により用途廃止になったアプト式用のED42を製品化しました。 天賞堂は初の本線用電気機関車として1963年(昭和38年)関門トンネル用のEF30を発売しましたが、 今回も特殊な機関車の製品化を企画したことは興味深いことです。 いずれにしても信越線のファンである筆者にとっては大変喜ばしいことでした。 また下廻り等で他のBB電機よりもはるかに手の掛かるこの機関車が、 予想よりもかなり低価格の\4,990で発売されたことは、 3重連・4重連で楽しみたいファンには誠に有難いことでした。

 上廻りは側面のベンチレーターや窓枠・帯を美しいエッチングで表現した真鍮版を折り曲げ加工し、 前面と半田により組み立てられています。運転室部分は実物どおり一段広がっていますが、 幅の狭い車体にモーターを入れるためか車体幅は全体がスケールよりやや広がっていたようです。 ダイアガラスの入った前照灯と尾灯はダミーです。 屋根上の機械室のカバーはプレス加工したものですが、 何故か幅が狭く実物とは格好が異なっていました。他の製品の流用だったのでしょうか。 パンタグラフはこの製品のためにPS11を新製して取付けています。 運転室への昇降ステップは真鍮板の半田組みです。


天賞堂 ED42下廻り
 上廻りも十分当時の水準をクリアーしていましたが、この製品の白眉は何といっても下廻りです。 粘着台車の蒸機と同様の内側台枠はリベット等をドロップで美しく打出し、 更に別部品としてドロップ加工したジャック軸のギアケース部分を貼り合わせています。 これらのドロップ製部品は実物の機械的な魅力ある印象を良くつかんでおり、 その後改良製品で使われたダイキャスト部品より好感が持てました。 更に、ラック台車や第3軌条の集電シュー・車体台枠部分・エンドビームもドロップで加工・表現して、 そのディテールや彫りの深さは多くのファンをひきつけました。 ただブレーキシューも主台枠と一体のドロップで表現したため、 多少奥へ引っ込んだ感じとなっていました。 これらのドロップ部品は車体台枠を除いて塗装ではなく黒メッキ処理してあり、 下回り全体を引き締めていました。 2つの粘着台車の間にあるラック台車は前後の粘着台車に絶縁せずに懸架されており、 そのため各台車には集電ブラシが取付けられています。 モーター(マイティ)は枕梁を兼ねた取付台に載り、 その取付台は台枠上を前後してギア比24対1のウォームギアのかみ合わせの調節をします。 動輪の輪心はダイキャスト製のスポークで、 バランスウェイトは輸出用製品の流用のためか実物と異なり三日月型でした。 ドロップ製のスコッチヨークで第一動輪とジャック軸、第二動輪を結んでいて、 動力も実際にこのスコッチヨークにより伝えています。製品は1個モーターでしたが、 2個モーター化できるように床板には穴が開けられていました。
 3重連にして6つのスコッチヨークを忙しく回転させながら走る姿は、 普通の電機にはない独特の雰囲気を良く表していました。この製品は塗装済完成品のみの発売で、 ナンバーはED42の2・8・10と17が用意され4重連も可能となっていました。 写真のモデルは2個モーター化してあります。

EF62

天賞堂 EF62

  発売年:1965年(昭和40年)
  販売価格:塗装済完成品 \11,550

 ED42を発売した翌年、天賞堂は信越線で新たに活躍を開始したEF62を製品化しました。 今回も大幹線用のポピュラーな機種ではありませんでしたが、 輸出用の軸配置C―Cのディーゼル機関車のギアボックスがそのまま使えたということが 機種選択の理由だったようです。 いずれにしてもB−B−Bの軸配置に慣れた目には目新しく感じられました。 この製品は天賞堂の製品群の中でもEF30と並んで高級製品として発売され、 当時としては大変高価でした。

 上廻りは運転室扉等を美しくプレス加工したボディーに、 ドロップ加工で真鍮板に波板を表現したベンチレーターを、 側板に開けた角穴に裏側から半田付けしています。 前面は運転室の窓が上部に向け傾斜して一段へこんでいますが、 これらは真鍮パーツによりそつなく半田付けで組み立てられており、 正面の貫通扉を別付けするなど、 一体でプレス加工できる機種に比べかなり手作業が加わっています。 側面肩部には明り取りの窓が並んでいますが、 Hゴムの表現はないもののゆがみなくきれいにプレス加工がされています。 屋根上の機械室カバーやモニター部はプレス加工した部品を半田付けで綺麗に組上げ、 パンタグラフは銀色メッキが施されています。実物の屋根はFRP製のため、 同機のパンタグラフは独特の取付けがなされていますがそこまでは表現されず、 通常の取付方法によっています。ランボードは取付足を持ったパーツの上に別のパーツを取り付け、 立体感を出しています。運転室扉にはドアノブが真鍮線で表現され、屋根上の汽笛カバーや被雷器、 ロストワックス製と思われる電暖表示灯が精密感を盛り上げています。

天賞堂 EF62下廻り
 C―Cの主台車枠は、軸箱部や大きなコイルバネを一体のドロップで美しく表現していますが、 コイルバネはやや立体感に欠けていました。ブレーキシリンダーやテコ・引張リンクは別部品とし、 ブレーキロッドやシューは別にドロップ加工したパーツを主台車枠と二重貼りにして立体感を出しています。 動輪の輪心はダイキャスト製ですが、 実物のような小穴の空いたタイプではなく普通のスポーク車輪を使っていました。 大型の両軸モーターを台車間の床下器具部分に落し込み、 動力はゴムチューブを介してスパーギアを駆動し、 3個のスパーギアで台車内のダイキャスト製ギアボックスに下します。 ギアボックス内ではウォームギアで各台車の前後軸を駆動し中間の車輪はフリーです。 大型モーターや良好なギア装置によりスローがきき満足の行く走りでしたが、 高速回転するスパーギアが多いためかやや甲高い音を発し、 また伝動部に使用しているゴムチューブの影響かと推察されますが、 カーブに掛かるとスピードが落ちるのは残念でした。
 台車のほぼ中央部の車体から伸びている引張力を伝える脚は、 ショートを防ぎ台車の動きを妨げないために軟らかいポリエチレン製です。 スカート部はプレス製で、エアーホース類はポリエチレン製、 ジャンパー線はロストワックス製でディテール豊かです。
 ナンバーは白のディカールでEF62 21が書き込まれ、前面窓のHゴムは烏口で灰色を入れ、 電暖表示灯には点灯時の橙を表現するなど手間を掛けたこの製品は、 やはり天賞堂ならではの出来で他社の電気機関車の水準を大きく超え、 多くの高級ファンに喜ばれました。
 写真のモデルの前後のウエイトは後で追加したものです。

EF58

天賞堂 EF58

  発売年:1969年(昭和44年)
  販売価格:塗装済完成品 \11,800

 1965年(昭和40年)以来暫く機関車を発売しなかった天賞堂は、 1969年(昭和44年)久し振りに大型機関車、 それも戦後最もポピュラーで直流電化区間に大活躍をしていた旅客用のEF58を製品化しました。 時代の変化を反映して従来標準的な製法であったドロップや真鍮製の部品に代わり、 ダイキャストやプラスティックの部品が多く使われています。

 上廻りは従来どおり真鍮プレス加工によっていますが、側面窓上部に多少ひずみが見られ、 また大胆に乗務員扉の後部まで一体にプレス加工した前頭部との接合部が側面の平面部に来るため、 やや目立ち損をしています。前述のようにプラスティック部品が多用され、 側面のベンチレーター・ランボード・屋根上機械室カバー・空気タンクや枕梁に及んでおり、 その出来は悪くありませんでしたが、気のせいか少し安っぽくなったような感じがしました。 プレス加工された正面は他社製品にはない実感的な出来で、EF58の特徴を良く捉えています。 正面のナンバーは切り抜き文字のため、薄板をエッチング処理して貼り付けています。 番号はEF58 139のみのようでした。前照灯は豆粒球で点灯、尾灯はダミーです。

天賞堂 EF58下廻り
 下廻りは多くのダイキャスト部品で構成されています。主台枠は一体のダイキャスト部品となり、 肌はやや粗いものの従来の他社のドロップ製に比べて彫りは深く、実感的な出来となりました。 ブレーキシリンダーはダイキャスト部品を別付けしています。主台枠には軸穴は開けられておらず、 ダミーとなっています。ブレーキシューはプラスティック製でギアボックスに固定され、 ブレーキロッドは黒メッキした真鍮線で作られています。 特筆すべきは幅の狭い主台枠前部が首を振るようにしたことで、 構造的にはやや違和感があったものの、 2−C−C−2機の模型としては小さなカーブが切れることとなったと同時に、 オーバーハングの長い同機でも隣の車輌と無理なく連結できるようになり、その効果は絶大でした。
 モーターは大型の棒型を床板上に置き、 真鍮製のルースカプリングとナイロン製チューブを介して一方の台車から立ち上がったダイキャスト製のギアケースに収まったスパーギアに伝動します。3個のスパーギアによってダイキャスト製のギアボックスに下ろし、ボックス内を貫通したウォーム軸に伝動し、ウォームギアによって3軸を回転させます。もう一方の台車にはウォーム軸端に取付けられたエボナイトと真鍮製のルースカプリングを介して伝動し、やはり3軸を駆動しています。かなり複雑な構造にもかかわらず、類似の伝動装置を持つEF62に比べて比較的静かで、スローが利くなど当時としては画期的でした。軸箱は構造上当然非可動ですが、床板上に2個取付けられた大型のウエイトもあり強力機となりました。先台車枠もダイキャスト製で、車輪は先輪・動輪ともダイキャストによるスポーク輪心が表現されています。  天賞堂のEF58はそれまで長年発売されていた他社の同機に比べ、 ディテールも豊かでスケール感があり、 何よりも良く考えて作られた動力装置や下廻りにより走行も満足できるものとなり、 さすがに天賞堂製と思わせる画期的な製品でした。
 写真のEF58はギアボックスを切削することにより13mmに改軌していますが、 先台車前部のスノープラウ取付座以外はほぼオリジナルの部品を使用しています。

(2007年12月 M.F)




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