2. 模型店別車輌発売状況

2-6 天賞堂(3) −電車・貨車−


電 車


 1962年(昭和37年)にEB10やDF50などの日本型の16番製品を本格的に発売し始めた天賞堂は、翌1963年(昭和38年)、その窓物製品の第1弾として、新幹線登場前の当時東海道線の花形特急電車として大活躍していた「こだま」型151系電車を製品化しました。この製品が発売された時点では、国鉄型客車の製品と同様、電車の製品は主にカワイモデルとつぼみ堂模型店が1950年代から発売していた製品が市場に出回っていました。カワイモデルは70系・80系・72系・153系・155系そして1961年(昭和36年)に157系をラインアップ、型式数では最多でしたがスケール感にやや問題もあり、真鍮プレス製の湘南型の前面の形状や新性能電車のソフトメタル製の前面など、高級ファンには違和感のあるものでした。つぼみ堂も70系・80系・72系や101系を販売していましたが、スケール感は良いもののディテールが極めてさっぱりした製品でした。どちらの製品も床板が木製であるのは時代を感じさせます。鉄道模型社も実物の登場後程なく20系電車(後の151系)の当初の4型式を発売しました。一方、その後多くの型式を発売したカツミからはこの時点では電車はまだ全く発売されていませんでした。
 このような状況の中で、1963年(昭和38年)、キットでの販売が主流であった当時としては珍しく、天賞堂は151系電車を塗装済完成品として一挙に10型式にわたって発売しました。現在でも1つのシリーズを10型式も同時に発売されることは殆んど有りませんが、上記のような時代背景を考えると天賞堂がいかに力を込めた製品であるかわかります。発売されたのは、クハ151・クロ151・モハ151・モハ150・モハシ150・モロ151・モロ150・サロ151・サハ150・サシ151で当時の151系全型式のうち製品化されなかったのはサロ150のみでした。しかし発売時点では実物はサロが1編成に1輌ずつしか入っていなかったため、上記の型式で実物どおりの編成を組むことが可能でした。
 実物の151系電車は、1958年(昭和33年)に90系(後の101系)の動力機構をベースに、それまでの優等列車といえば機関車牽引の客車列車という概念を打破し、東京・大阪間を6時間50分(後に6時間30分)で結ぶ特急電車列車として活躍を開始しました。151系は、従来の電車のイメージを抜出して先頭部はボンネットを持った高運転台を採用し、塗色もクリームと赤の所謂国鉄特急色を初めて採用、その独特の丸みを持った車体形状とともにまさに新しい時代の特急として、またその後の特急電車のはしりとして運用を始めました。当初は東京−大阪間を日帰りすることも不可能ではないということから「ビジネス特急」とも呼ばれ、クハ26(後のクハ151)・モハ20(後のモハ151)・モハシ21(後のモハシ150)・サロ25(後のサロ151)の4型式のみ製造され、この4輌を背中合わせにして8輌編成で運転されました。この「こだま」の成功に伴い、1960年(昭和35年)に東海道線の最高位の展望車つき客車特急であった「つばめ」「はと」を151系電車に置換えるため、新たにクロ151・モロ151・モロ150・モハ150・サシ151・サロ150・サハ150が追加で製作され、151系は新性能電車としては最も多い11型式が製作されました。天賞堂はその151系電車の特徴をよく捉え、模型としての表現を重視して一部にデフォルメされた部分が見受けられるものの、スケール感が良く高級感のある美しい塗装で電車製品の品質を一気に高めるとともに、多くの高級モデラーに大好評をもって迎えられました。当然価格も一気に上昇し、11輌のフル編成では\35,000を超えることとなり、当時の大卒初任給の2ヶ月分近い金額のため誰にでも購入できる製品ではありませんでした。しかしながらかなりのインフレの時代にもかかわらず、1971年(昭和46年)の最終製品の販売時まで同じ価格で販売されていたようです。
 今回は初めにこの画期的な天賞堂の151系の製品群をご紹介したいと思います。前回の軽量客車同様各製品に共通の部分をご紹介し、その後各型式に固有の特徴について写真とともにご案内します。筆者は信越線関連の車輌を主に収集していたこともあり、また高価でもあったため結局この製品は入手しませんでしたのでH.T.所蔵の製品の写真をお届けします。入手時期が比較的遅かったためか、パンタグラフつきの車輌がないのは残念です。

上廻り
天賞堂 151系先頭車(H.T.所蔵)
 製品のボディはプレス加工した真鍮板を半田付けで組立をしています。プレスにより非常口の蓋やサシの搬入扉などを表現していますが、サボ受けは表現されていません。151系電車独特の丸みがかった形状の側面を持つボディを美しく表現しており、客用扉や先頭車の乗務員室扉は別貼りで、客用扉の窓のHゴムはプレスで表現した上烏口で青色がかった灰色で着色、乗務員室窓や扉のアルミサッシは銀色の塗装で表現しています。雨樋は甲丸線を別に半田付けして立体感を高め、妻板部の貫通路の扉は妻板と一体でプレス表現されています。貫通幌枠は初期の製品では前回ご紹介した軽量客車と同様の真鍮プレスパーツでしたが、後期の製品では上下が同形のプレスパーツに変わっています。屋根上の特徴のあるキノコ型のユニットクーラーはソフトメタル製で、形態も比較的良好でディテールも豊かでしたが、やや仕上げが荒くあまりすっきりした感じではありませんでした。片側のガーランドベンチレーターはプラスティック製で、他社製品に比べ実感味のあるものでした。客室部の窓ガラスは青みがかった透明ビニルを使用することにより高級感を盛りたて、トイレ窓は実感的な乳白色の板を貼り付けています。車体は艶のある美しいクリーム色と赤色で塗装されていますが、赤は人工光の下で見る機会の多い模型を考慮して実物よりもやや明るく、賛否の分かれるところです。屋根は銀色に塗装されています。車体の標記は型式と番号が販売時に既に書き込まれていましたが、初期製品では字体・大きさとも高級製品としてはやや見劣りがするもので、特に実物はステンレスの切抜き文字であるにもかかわらず、黒色で表現してあるのはやや興ざめでした。室内は当時としては一般的ではありましたが全く手が加えられていません。

下廻り
 動力装置は、共にパンタグラフの載ったモハ151とモロ151に縦型モーター(マイティ)を各1個ずつ搭載して、それぞれ17:2のウォームギアとインサイドギアで2軸に伝動しています。ウォームホイールはベーク製です。床上には比較的大きなウエイトが取付けられており、フル編成である11輌編成でも3輌の動力車で一応十分な力を有していましたが、さらにモハ150とモロ150には動力装置を組込めるように床板に穴が開けられていました。灰色に塗装された床板は真鍮板で、車体に取付けられたアングルにビスでとめられています。床下器具はソフトメタル製で、ディテールは多くないものの点数も豊かで比較的美しくできており、全て灰色で塗装されています。発売当時実物の床下器具は黒色で塗装されていましたが、模型としての美しさを出すために20系登場当初の灰色塗装を真似たのでしょう。台車は美しく打出したドロップ製で動力車用のDT23と付随車用のTR58を新製し取付けています。他社製品では動力車の台車もTR58で代用していたのに対して、天賞堂はブレーキシューの表現は無いものの、ブレーキシリンダーも表現したDT23を製作しファンを喜ばせました。勿論動力台車はプレーン軸、付随車用はピボット軸です。車輪はまだ銀色メッキでしたが、台車はつや消しの黒メッキされた美しい仕上がりで高級製品をイメージさせ、下廻り全体を引締めていました。台車は段つきのプラスティック製のセンターを介して、センターピンで床板に取付けられていますが、集電用のバネは入っていません。カプラーは編成物のためドローバーを新製して取付けています。このドローバーは全て東京寄に取付けられ大阪寄に取付けられたピンに差込むようになっており、運転に際して編成を組む際に車輌の方向が決まるのは好都合だったのですが、ドローバー自身の材質がナイロン樹脂製であったため軟弱で扱いにくく、長編成を全て連結するのは大変だったようです。床板にはドローバーおよびドローバーピンの取付けのためそれぞれ2箇所ずつねじが切ってあり、通過の曲線により連結面間隔が3通りに変えられるようになっていたのは親切な設計でした。

その他
 製品は薄手の段ボール紙に巻かれたうえ、現在のものより小型で表面に151系のイラストが描かれた美しい銀色の箱に納められていました。各製品には、「東京−大阪」などの行先板や号車番号のサボを印刷した紙が添付されており、ファンに喜ばれました。前述のとおり価格は当時としては大変高価で、誰にでも受け入れられる金額ではありませんでしたが、その内容を考えると納得できるものでした。結局1960年代には天賞堂の電車の製品化はこの151系のみで、その後も金属製の型式シリーズは1990年(平成2年)に80系の300番台を発売したに過ぎません。
 いずれにしてもこの製品はスケール感が良い上にディテールも豊富で、美しい塗分けの塗装や引き締まった下回り等従来の他社製品とは一線を画し、高級ファンにも満足できる製品となったのでした。

1.先頭車 − クハ151・クロ151
   発売年   1963年(昭和38年)
   販売価格  \4,250(両型式共)

天賞堂 クハ151(H.T.所蔵)

天賞堂 クロ151(H.T.所蔵)

 数ある151系「こだま」型特急電車の外観上の特徴のうち、やはり最大のポイントはその先頭部の高運転台とボンネット部分でしょう。模型化するときもこの先頭部を如何にうまく表現できるかが、その成否を決める鍵になっているようです。現在に至るまで151系を初めボンネット型の特急電車はいくつかのメーカーから製品化されていますが、ボンネット部の3次元の独特のカーブや、小さいが特徴ある運転台をすっきりと実感的に表現できた製品は少ないようです。特にボンネット部分の製法は電鋳(鉄道模型社)、ソフトメタル(カワイモデル、宮沢模型)、真鍮板プレス(天賞堂、宮沢模型)、ダイキャスト(カツミ模型店)、ロストワックス(カツミ模型店、エンドウ)と多彩で、各社その表現に苦労した跡が伺えます。天賞堂はこのボンネット部分を正面から見て中央部で左右に2分割し、それぞれの部分は真鍮板をプレス加工後中央で半田付けしています。この継ぎ目はきれいに処理されて、言われないと気づかないほど美しく仕上げられていると共に、その形状も現在まで発売された各社製品の中でも未だに上位にランクされると思います。欲を言えば実物で上方に開閉するようになっているボンネットの継ぎ目が表現されていないことでしょうか。左右の前照灯ケースは真鍮プレス加工部品を別付けしています。運転室部分は真鍮板のプレス加工ですっきりと表現されており、屋根上にはソフトメタル製の前照灯・ホイッスルを一体としたカバーが載っています。3箇所の前照灯や尾灯は全て点灯し、セレンで前後を切換えます。運転室窓のHゴムには烏口で青灰色が入れられています。先頭部の愛称の表示枠は真鍮プレス加工の枠がはめ込み式で交換可能になっており、裏から点灯するようになっています。スカートは真鍮板のプレス製で正面のタイフォンの穴には網まで貼ってありますが、スカートの終端部は実物よりも長くなっており、スケールを重視するのか模型としての形態を重視するのか意見の分かれるところでしょう。いずれにしても製作に大変手間のかかる先頭車は、この製品群の中で動力車を抜き最も高価な車輌となりました。前年発売された同社のDF50が\4,990だったことを考えると、当時としては大変高価な電車製品でした。

2.動力車 − モハ151・モロ151
   発売年   1963年(昭和38年)
   販売価格  \3,950(両型式共)

 天賞堂の151系の動力車は2個のパンタグラフを載せたこの2形式です。動力装置は前述のとおり発売当時の標準的な仕様ですが、インサイドギアの枠を黒色メッキするなど、他社製品とは一線を画していました。パンタグラフは既発売の銀色メッキしたPS16を載せ、151系独特のパンタ台は黒メッキしたドロップ製です。写真をお目に掛けることができないのが残念です。

3.食堂車 − サシ151・モハシ150
   発売年   1963年(昭和38年)
   販売価格  \2,600(両型式共)

天賞堂 サシ151(H.T.所蔵)

天賞堂 モハシ150(H.T.所蔵)

 この2型式の食堂車/ビュフェ・2等車はトレーラーですが、他の付随車よりもディテールが多いせいか多少価格が高くなっていました。サシの屋根上の大型の換気口はロストワックス製、回送運転台用の砲弾型前照灯や特殊な半分のユニットクーラーはソフトメタル製、モハシの丸型のアンテナは挽物製でいずれも形態をよく捉えていました。またモハシのユニットクーラーに載っている無線電話アンテナ用のカバーもきちんと表現しています。車体側面の波型のベンチレーター類は別にプレスで表現した真鍮板を半田付けして立体感を高めています。いずれの車輌も窓配置の関係で編成の中では異彩を放ち、特にモハシは151系とその直系の181系以外では製作されなかった型式ですので、独特の形態が楽しめます。

4.付随車 − モハ150・モロ150・サロ151・サハ150
   発売年   1963年(昭和38年)
   販売価格  \2,400(全型式共)

天賞堂 モロ150(H.T.所蔵)

天賞堂 サハ150(H.T.所蔵)

 これらの型式は模型ではトレーラーですが、前述のようにモハ150とモロ150は床板に予め穴が開けられていて、別売されていた動力装置を組込めばすぐに動力化できるようになっていましたが、台車はピボット軸を採用しているためこれは取替える必要がありました。モハ150とサハ150の車体は同一です。サロ151には回送運転台と前照灯がついており、また屋根上のラジオ用のアンテナには当時としては珍しくロストワックスを使い、精密感を盛り上げています。写真のモロ150には動力装置を組込んでいます。

貨 車


 天賞堂の日本型16番の模型は1957年(昭和32年)に発売されたプラスティック製貨車に端を発しています。これらの貨車模型はすでに当時の水準をはるかに上回るディテールを持っており、その後の高級製品の発売元としての天賞堂の片鱗をうかがわせています。

天賞堂 ワム50000

天賞堂 トラ4000

天賞堂 ワフ28000

天賞堂 ツ2500

天賞堂 レ2900
1.プラスティック製貨車
 貨車の16番製品は1950年台からつぼみ堂等が発売していますが、これらの製品はブリキ板を折り曲げて組立てただけというレベルに近く、スケール模型としては物足りないものでしたが、そのような状況下で天賞堂はエボナイト系の黒色プラスティック製で、ディテールを美しくモールドした貨車群の発売を始めました。車体は一体のモールドでアングル状の梁や手すり、梯子、リベット、ヒンジ等を非常にかっちりと表現し、発売当時の貨車模型の水準からすると誠に抜きん出ていた製品であったように思います。型式や番号も一体でモールドされています。冷蔵車であるレ2900の車体側面は銀色に塗装されています。初期の製品では台車枠も軸受メタルの入ったプラスティック製であったようですが、1960年代に一時ドロップ製になったあと、1970年代の製品ではブレーキシューも表現したダイキャスト製に代わりました。床下にはプラスティック製のブレーキシリンダーもついています。国鉄の貨車はとくに妻板面の縦横比などが崩れると屋根のカーブの大きさが変わることなどもあって印象が大きく違ったものになってしまいますが、これらの製品はスケールも良く、近年に至るまで半世紀近くにわたって基本的な設計変更を行わずに発売され続けられていることは驚異的で、如何にオリジナルの設計が良好であったかを証明しています。写真のモデルは1970年代の製品で、番号等のモールドは削り落とし、台車枠は製品のダイキャスト製ですが、13mm化のためブレーキシューを別付けとしています。


形式 発売年 販売価格

ワム50000 1957年(昭和32年) \320

トラ4000 1957年(昭和32年) \320

ワフ28000 1957年(昭和32年) \370

ツ2500 1957年(昭和32年) \350

レ2900 1958年(昭和33年) \370

トムフ1 1965年(昭和40年) \610


2.金属製貨車
天賞堂 ク5000(H.T.所蔵)
 天賞堂は1960年(昭和35年)に初めての金属製の貨車としてボギーのコンテナ車、チキ5000を、1966年(昭和41年)に自動車輸送車のク5000を発売しました。筆者はチキ5000の製品を見たことがありませんが、ク5000が発売されたときは天賞堂製品としてはいささか違和感がありました。この時点まで天賞堂は製作に手間を掛けた製品を中心とする、所謂高級路線を歩んでおり他社の製品と一線を画していましたが、このク5000は真鍮板のプレス加工製品にも拘わらず半田付けによる部分は僅かで、組立は主にカシメや皿頭ビスを使用しステップもプレスで表現するなど、天賞堂ファンの目には少し安っぽく見えたのは事実です。しかし塗装は美しく、本体の大部分は朱色のような赤、自動車の乗る床部分は灰色、床下器具は黒で、レタリングは銀色で入れられていました。台車は美しいドロップ製のTR63でピボット軸を採用していましたが、後の製品ではブレーキ装置までついたダイキャスト製になりました。


形式 発売年 販売価格

チキ5000 1960年(昭和35年) \1,400

ク5000 1966年(昭和41年) \1,300

(2008年2月 M.F)



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