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昭和46年7月26日    郡山工場

 高校の鉄道研究会にも合宿と称した旅行があり、高2の夏は国鉄郡山工場を見学し 鳴子温泉に泊まるというコースでした。高校生のことゆえ引率として顧問の先生に 同行していただきましたが、先生は「鉄ちゃん」ではなかったので宿での会話も途切れがち。 そんな中で「僕は味噌ラーメンが気持ち悪くて食べられない。 だって、味噌汁のラーメンなんでしょ?!」と言われ唖然としたのを今でも覚えています。
 郡山工場には連接車体から普通のボギー車に改造されたばかりのクモハ591・590がいました。 クモハ591は、昭和45年3月に試作された連接構造の振り子車で、車体にはアルミが採用され、 3車体で1両の扱いとなっていました。しかし、連接台車の舵取り機構に不具合があったようで、 翌46年3月には郡山工場で両端のアルミ車体に鋼製の車体をボルト留めで継ぎ足した 20m級ボギー車2両に改造され、高運転台の車体がクモハ590となりました。 このクモハ591・590が生みの親となり、昭和48年7月の中央本線全線電化完成時に381系が生まれました。 (2003年1月 H・T)