トップナンバーアルバム

荷役線から移動、EF210も連結され出発準備が整ったコキ101-1他。 手前からコキ101-1+コキ100-1+コキ100-2+コキ101-2。
2011年4月8日 相模貨物駅

コキ101-1。試作されたコキ100と番号は揃っています。  2012年1月25日 相模貨物駅

コキ101-2。コキ101-1とは逆向きとなっています。  2012年1月25日  相模貨物駅

コキ100-1。この車両は川崎重工製で試作されました。  2012年1月25日 相模貨物駅

コキ100-2。この車両のみJR貨物新小岩車両所製です。  2012年1月25日 相模貨物駅


 私は車両の形式と番号に大きな興味があり、趣味の対象の一つとしてきました。 これは、多くの鉄道ファンにとっても同様なのではないでしょうか。
 蒸気機関車は数字だけの形式に行き詰まり、 戦前に動軸数のCとかDとか使う形式に改め形式と番号が分離されました。 しかし、貨車では国鉄の最後まで数字にこの思想が生きていたのですが、 さすがにJR貨物では形式と番号を分けた、いわゆるハイフン番号になりましたね。
 そんな新世代のコンテナ車の最初の量産形式であるコキ100形とコキ101形を今月の友情出演でご覧いたでくことにしましょう。 でも、タンク車はタキ1000形から始まったのに対して、コンテナ車はなんで3桁の形式にしたのでしょう? このあたり、厳格な基準があるように見えて、実は属人的な理由で決まっていたりすることがあるから興味深かったりします。 さて、コキ100の真相は何だったんでしょう。(2015年6月 H・T)
 数年前まで、具体的に言うと九州ブルトレが走っていた頃は貨物列車には見向きもしませんでした。 その頃の貨物列車写真は殆どありません。 貨物輸送がコンテナ化しコキのみの面白味のない編成となってしまったからです。 ただ、九州ブルトレの廃止で客車列車が数少なくなり、同じ機関車牽引の貨物列車に興味が湧いてきました。
 貨車の知識は殆どありませんでしたが、高速での運行や海上コンテナ輸送を視野に 「コキ100系」を開発したことは知っていました。 ブルーのコキが連結されている列車を見ているとコキ101とコキ100は同じ番号が隣り合っています。 電車のMM'ユニットなら理解出来ますが、貨車のユニットは何だろう?と思ったのです。
 調べると、1987年(昭和62年)にコキ100形4両(1-4)が、まず試作されています。 ブレーキに応荷重装置付き電磁自動空気ブレーキ(CLE方式)を採用、110km/h走行可能となりました。 外形は、手摺とデッキを省略、車体長がコキ50000形の19,600mmに対し19,110mmと短くなりました。 またヤードの廃止や安全面から「突放禁止」となり、手ブレーキは留置専用、ハンドルが側梁面に移されました。
 この車両の試験結果を踏まえて1989年(昭和63年)〜1989年(平成元年)にかけて量産化されたのが、 コキ101(奇数)+コキ100(奇数)+コキ100(偶数)+コキ101(偶数)4両1ユニット編成です。 改善点は荷役作業の便を図るため、両端のコキ101に手摺とデッキを設置、車体長が19,600mmとなりました。 コキ101形のブレーキはCLE方式で奇数車に常用ブレーキと緩めの電磁弁、偶数車に常用と非常ブレーキ電磁弁を装備、 中間のコキ100形2両は電磁弁を持たず、コキ101形から制御する応荷重装置付きの自動空気ブレーキ(CL方式)となり、 4両1ユニットとなりました。
 コキ101+コキ100はユニット編成で誕生した訳ではなく、試作して色々と検討された結果、生まれた車両だったのです。
 その後、奇数のコキ103形のみ電磁弁を装備したCLE方式とし、 偶数のコキ103形や中間車のコキ102形はCL方式とコスト面を考慮した形式に引き継がれました。 さらに中間のコキ102形に手摺とデッキを取り付けた500番台が誕生しています。 また、4両1ユニットから2両1ユニットとしたコキ105形も造られました。
 しかし、貨物は途中駅での増結・切り離しがあり、 ユニット単位では使い辛いのか1両単位での運用が出来る車両の方が重宝され、 今ではコキ104形、106形、107形が主流となりました。 現在は、コキ101-1を相模貨物駅で何度となく見かけましたので限定的な運用をされているようです。 (2015年6月 T・O)