トップナンバーアルバム

ナハ11 1は近代化改造を受けていますが、この画像は便所側なので近代化改造の識別ができません。   昭和50年7月30日  527レ 大分駅


 このトップナンバーアルバムの ヨ6000 で書いたように、大学3年の鉄研の合宿は由布院でした。 一週間ほど旅をすると色々と撮れるのもですが、このナハ11形のトップナンバーもそんな収穫の1つです。
 この昭和50年の春には新幹線の博多開業があり、 本州と九州を結ぶ列車に使われていた交直流電車が大移動しましたが、 まだ大分以南の長距離普通列車は客車でした。 そんな普通列車、大分発13:19の都城行き527レにナハ11 1が入っていました。 ちなみに527列車の都城着は21:13、8時間もかかったんですね。
 さて、ナハ10形の改良形として蛍光灯を採用したのがナハ11形で、 昭和32年から34年にかけて102両が製造されています。 他に評判の悪かった隙間風対策など小さな改良はありますが、 当時は「蛍光灯の採用」が形式を分けるほど大きな出来事でした。 ところで、皆さんは普通車(2等車)の椅子のモケットに何色を思い浮かべますか。 私(の世代)は「青」なんですが、ナハ11形の97番までは緑色7号で落成しています。 昭和34年度製の98番から馴染みのある青11号に変更されました。 幼少の頃には緑色のモケットを見た可能性はあるのですが、どうも記憶にありません。
 10系では乗り心地改善の目的で柔らかい台車のバネを採用していたのですが、 混雑時には定員の倍も乗車する時代でしたので、 車体が沈み込んで地上設備と接触する事故があり、 対策として昭和39年には枕バネが硬いものに交換されています。 ハ・ハフの近代化改造では順番が一番あとになり、昭和43年から始まりましたが、 全車が改造されることなく45年度に終了しています。 なお、10系ハ・ハフの近代化改造では洗面所窓が二段中折れから上段下降になったことが外観上の識別点です。
 このナハ11 1は昭和32年に日立で製造、1から9の新製配置は竹下であり、 スハ44形に代わり特急「かもめ」に使われています。 廃車は昭和54年7月、最終配置区は都城でした。 (2017年10月 H・T)


ヨ6000で書きましたが、この旅行の目的の1つの竹中駅です。 駅名票がないのが残念、と言うか珍しい。   昭和50年7月30日 豊肥本線竹中駅

10枚買ったはずの入場券ですが、手元にあるのはこの一枚だけ。