トップナンバーアルバム

秩父鉄道へ転籍した当初の1000系塗装です。  1993年4月3日  大麻生〜明戸

上熊谷駅を発車したデハ1001。冷房改造時の塗装です。  2007年4月20日 上熊谷駅

1001編成はオレンジ色の1003編成と組み臨時急行として運転されたこともあります。  2013年8月17日 熊谷駅

熊谷駅で仕業点検中の先頭部分。パンタの増設や冷房化されていますが、高度成長期を支えた101系そのものです。  2013年8月17日 熊谷駅


 101系と103系、よく似ていますが正面の窓が大きい101系のほうが優しい表情を持つように感じます。 JR東日本では後輩格の103系でさえ全滅した中で101系が昨年まで現役でいたのは奇跡に近いですね。 なにしろカルダン駆動の一期生は101系、111系、153系、151系です。 秩父鉄道に移籍した101系以外はとっくに姿を消しているんですね。
 今月の友情出演は、そんな秩父鉄道のデハ1001をご覧ください。(2015年3月 H・T)
 2015年3月ダイヤ改正は北陸新幹線開業、並行する在来線の第3セクター化、 また上野東京ライン開業で高崎・東北線と東海道線の直通運転が始まりました。 他にも「トワイライト」廃止などがあり、鉄道にとって大きな変革となりました。
 そこで今回のトップは、車両として国鉄に大きな変革をもたらし、 さら後の急行・特急電車にも多大な影響を与えた「101系」に関係する車両を取上げます。 とは言っても、国鉄からJRへ引き継がれたのは、約1,500両在籍した中で約200両、 しかも、すでにJRでは引退しています。 しかし、2014年(平成26年)3月までは秩父鉄道1000系として運行していました。
 「101系」は1957年(昭和32年)にカルダン駆動方式、 電動車は機器を分散した2両1ユニット式(MM'ユニット)、 発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキを採用したいわゆる“新性能車”として誕生しました。 客室内はそれまでの73系と殆ど変らなかったものの両開扉、 40W蛍光灯(従来は白熱灯や20W蛍光灯)、アルミサッシ窓、 扇風機を採用し居住性を大幅に高めた車両でした。 私は小学校1年の時、神戸の魚崎から西荻窪へ引越をし、 中央線を走るオレンジ色の電車を見て「東京へ来た!」と感じたものです。 魚崎では近くを走る国鉄は40系列、阪神も小形車でいずれも茶色でした。
 さて、秩父鉄道へは1986年(昭和61年)〜1989年(平成元年) にかけてJR東日本へ引き継がれた車両の内、状態の良いものを3両編成 (M'c-M+Tc)として、12本36両が移籍しました。 入線時に塗装変更、パンタグラフPS13形化、暖房能力増大、 モータの100kW→85kW化等の改造をしています。 さらに1994年(平成6年)〜1997年にかけて先頭車の冷房改造が行われ、 パンタグラフも増設(2基ともPS16形へ)されています。 また鉄道博物館が2007年に開館したのに合わせ、4本が国鉄色を模した塗装へ変更され、 デハ1001(元クモハ100-117)-デハ1101(元モハ101-100)+クハ1201(元クハ101-58) のトップナンバー編成は京浜東北線カラーのスカイブルーとなりました。
 半世紀走り続けてきましたが、老朽化により2009年の1004編成、 1006編成廃車を皮切りにこのトップナンバー編成が2013年10月に廃車、 最後まで残った1003編成も2014年3月に廃車となり1000系は姿を消しました。
(2015年3月 T・O)


周りの風景は今と全く違いますが中央線を走る101系。  1962年4月 西荻窪〜吉祥寺