トップナンバーアルバム

2007年11月23日 金田車庫   このタイプの車輌は各地の第三セクターで見られますが、 平成筑豊鉄道の車輌は前面の貫通扉窓が下方向に拡大されているのが特徴です。


 早いもので、このトップナンバーアルバムも今月から10年目に突入します。 友人のT・O(管理人のT.O.とは別人です)はすっかりトップナンバーに毒されてしまい、 各地で収穫してきてくれます。平成19年の旅行の成果から平成筑豊鉄道のDCをご覧ください。 (2010年3月 H・T)
 大学時代のクラブ同期と年一回「鉄道旅行」を行っていることは何回か紹介しましたが、 この平成筑豊鉄道(車体には「平成ちくほう鉄道」と書かれていますが正式名は漢字です) 100形気動車「101」もその旅行で九州へ行った時に撮ったものです。
 この時は、トップナンバーに掲載した長崎電気軌道の「151」、JR九州のキハ31-1、 キハ66-1などトップナンバー収穫の多い旅行でした。 しかしこの「101」は写真を現像するまで気がつきませんでした。 平成筑豊鉄道には乗り潰し目的で乗車、 たまたま乗り換えた金田で時間がありホームに隣接している車庫に止まっていた車輌を撮っただけでした。 何気なく撮った写真ですが、2007年度から新潟トランシス社製の400形、500形を導入、従来の車輌を順次置換え、 この塗装車輌は少なくなりました。
 さて、この100形は筑豊地区の国鉄特定地方交通線伊田線・糸田線・田川線を継承し 1989年(平成元年)に開業した平成筑豊鉄道(実際には一旦JR九州に引継がれてから第三セクター化)が準備した車輌です。 この時は16mセミクロスシートの100形(101-109)と18mセミクロスシートの200形(201-203)、 18mロングシートの300形(301-304)の計16両が製造されています。 いずれも富士重工業が第三セクター向けに製造していたLE-DCと呼ばれるもので、 初期のバス部品を多用していたレールバスからはより鉄道車両に近くなっていますが、 やはり20年も経つとかなり傷んできたようで「101」は2009年に廃車され100形は形式消滅しました。 (2010年3月 T・O)