トップナンバーアルバム

強羅から下ってきたクモハ1001+クモハ1002。この時は非冷房で貫通扉がありませんでした。
塗装は今は無き小田急HiSE10000形に準じたものでした。     1995年5月1日 大平台駅


 ノーブルジョーカーの日帰り旅行記念の箱根・御殿場特集第3弾をT・Oの友情出演でご覧ください。 従来のモハ1形、モハ2形には「ク」がつきませんが、この1000形から「クモハ」になっています。 二つの基準が同居しても問題ないんですね。(2012年5月 H・T)
 1981年(昭和56年)箱根登山鉄道に、 姉妹提携を結ぶスイスのレーティッシュ鉄道ベルニナ線にちなんだ「ベルニナ号」1000形が誕生しました。 それまでは、1919年(大正8年)製造のモハ1形6両、1927年(昭和8年)〜1935年(昭和10年)に製造されたモハ2形5両、 そして1935年(昭和10年)製造のモハ3形3両の合計14両で運転されてきました。 モハ1形は1950年(昭和25年)、さらにモハ2形は1955年(昭和30年)〜1957年(昭和32年)にかけて車体更新していますが、 新車は1935年登場のモハ3形(登場時はチキ3形)以来の46年ぶりということになります。
 登場した1000形は電気指令式ブレーキ、並行カルダン駆動の高性能車ですが、 当時もう一般的だった冷房装置を搭載していませんでした。 これは半径30mの急カーブを通過するため車体長13.8m(連結器を含めると14.66m)に制限され、 箱根の山を下るのに必要な発電ブレーキ用抵抗器を床下に設置出来ず屋根に設置したためでした。 また台車も80‰の急勾配では空気バネは不向きでコイルバネを採用しています。 さらに在来車と同じく運転室下にはレールとフランジの摩耗を防ぐ目的で散水タンクを装備しています。 やはり、箱根の山を登り下りするためには、それなりの鉄道車両となっています。 大手私鉄で採用した規格車両を導入することは出来ません。これが、箱根登山鉄道の魅力です。
 なお、1000形は2004年(平成16年)に床置き冷房装置を取り付け、 電源供給用として2000系からモハ2200を提供され3両編成となっています。 この時、連結面に非常用貫通扉を設置しています。(2012年5月 T・O)


1000形が登場した時はこんな塗装でした。箱根登山鉄道創立120周年記念で登場時の塗装に復元された第2編成。
ただし中間車モハ2200形にこの塗装が施されるのは初めてです。              2008年5月7日 大平台駅

日帰り旅行で撮れたクモハ1001、今はこの塗装に「がんばろう日本」のシール付です。
平成24年(2012)2月5日 宮ノ下-彫刻の森の浅間山踏切