トップナンバーアルバム

入生田駅を出発するモハ101です。この頃は登山電車は小田原駅まで来ていました。 編成はモハ101-モハ102+モハ110でした。
1995年5月1日 入生田駅


 先月(平成24年2月)、ノーブルジョーカーのメンバーで箱根登山鉄道に乗りましたが、 新型車がメインとなった今も魅力的な鉄道ですね。 模型では学生の頃だったでしょうか、ピノチオからモハ1の車体キットが発売されました。 私も購入したのですが、台車と床下機器、動力が含まれていなかったので、当時はこれが大きなネックでした。 結局、着手を断念し処分してしまいましたが、16番はがに股だから手をつけないが、 これは標準軌だからOKと妙なこだわりでS・Nが完成させています。 そのS・Nは、最近はHOjに力を入れていますので、脈々とこだわりを維持しているようです。
 前置きが長くなりましたが、T・Oの友情出演は箱根登山鉄道モハ1をご覧ください。 (2012年4月 H・T)
 箱根登山鉄道には「1000形」や「2000系」が在籍していますが、やはり箱根の山登りは「モハ1形」「モハ2形」が似合います。 「モハ1形」のトップナンバーがモハ101です。 「あれ?何故モハ1形なのにモハ101なの」と思う人がいるはずなので、説明をします。
 箱根登山鉄道の前身、小田原電気鉄道が1919年(大正8年) 箱根湯本〜強羅間を開業した際に投入したのが木造ダブルルーフのボギー車「チキテ1形」の7両でした。 (チ:地方鉄道のチ、キ:客車のキ、テ:手荷物のテを表します)。 モハ101はチキテ1として誕生しましたが、1935年(昭和10年)湯本〜小田原間を伸延した際に手荷物室を撤去し「チキ1形」チキ1となっています。 1950年(昭和25年)小田急が箱根湯本まで乗入れることになり、 「チキ1形」は箱根湯本〜小田原間の600Vから1500Vへの昇圧に合せ複電圧化工事を受けました。 車体も載せ換えることになり1935年(昭和10年)に誕生した「チキ2形」チキ111、112や「チキ3形」チキ113、114、115と同じ半鋼製のボディとなりました。 ただ形式はそのままで、車番を原番号に“+100”を加えたチキ101としました。

 *「チキ2形」と「チキ3形」の違い
     「チキ2形」はシュリーレン社製台車、ブラウンボべり社の電装品を採用
     「チキ3形」は川崎車輌製台車、GEの電装品を採用
     足廻りの差です。

 1937年(昭和27年)に称号変更で「モハ1形」モハ101となっています。
 1960年(昭和60年)には東急車輌製台車に振り替え、さらに1993年(平成5年)からの3両編成運転開始の際、 片側の運転台を撤去し、モハ102と組み固定編成となっています。 この様に改造・更新を受け誕生当時のものは殆ど残っていなかったようです。  モハ101-モハ102は2002年(平成14年)2月末で老朽化のため廃車されました。 最後に小田原駅で「さよなら展示」されましたが、「52年間 ありがとうございました」と書かれ、 1950年(昭和25年)からの挨拶でした。社内でも1919年製というのは書類上だけと認識されていたようです。
 さて、モハ101ですが、 トップナンバーにも登場している大学時代からの友人H・Iさんと小田急NSE「3100形」がもうすぐ引退というので開成〜富水あたりで撮ってみようと出かけた時に、 ちょこっと足を伸ばし入生田で撮ったものです。この時は、一般塗装ではありませんでした。 これは1999年(平成11年)4月から1年間、箱根湯本〜強羅間開業80周年、彫刻の森美術館30周年を記念し、 当時フジテレビのCMで人気があった「STRAY SHEEP ポーとメリー」が描かれ、「とことこっとトレイン」として運行されていたのです。 私的には一般塗装を撮りたかったのですが・・・
(2012年4月 T・O)


本命はこちらの撮影でした。小田急創立70周年記念で改造された3161F「ゆめ70」です。  1995年5月1日 栢山〜富水