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最後のガンバリを見せたKM-101     2006年10月28日 奥飛騨温泉口駅


 神岡と言えばTMSで紹介されたナロー時代が思い出されます。 結局、乗る前に姿を消してしまいました・・・(2006年12月 H・T)
 神岡鉄道のKM-100形KM-101「おくひだ1号」です。神岡鉄道は、 国鉄特定地方交通線対策により廃止された神岡線を引継ぎ、 1984年(昭和59年)10月1日に第三セクター方式で開業しました。 形式に冠しているKMは、Kamioka My rail にちなんでつけられたもので、 地元自治体、商工会議所、 沿線住民などで組織された神岡鉄道協力会が乗客誘致などの支援を行ってきました。
 しかし、出資者でもあった地元鉱山の三井金属鉱業(株)が 濃硫酸輸送を貨車の老朽化を理由にトラック輸送に切換えてからは、 収入が激減し、2006年(平成18年)11月30日を以って廃止されてしまいました。 地元では、観光鉄道として復活させようとの動きもあるようですが、前途多難なようです。
 さて、このKM-101は開業当初から旅客輸送用として、 KM-151(形式はKM-150形、「おくひだ2号」)とともに準備された車輌です。 新潟鉄工所製の両運18m車体ですが製造費用を抑えるため、台車、基礎ブレーキ、 連結器などはキハ20 348から再用、 さらに夏でも涼しいトンネルが6割を占める路線であるため非冷房となっています。
 室内は出入口付近を除きボックスシートですが奥飛騨温泉口寄りにサロンコーナーを設けています。 なお、KM-151は外観はほぼ同じですが、団体貸切輸送にも対応できる用にトイレが設置され、 座席もボックスシートの中にロングシートとテーブルを配置したような独特な造りとなっています。
 この路線は1980年(昭和55年)3月、神岡線時代に終点の神岡(奥飛騨温泉口)まで乗車していますが、 廃止されるということで再度に乗りに行きました。 線路や景色は大きく変化はしていませんでしたが、終点の奥飛騨温泉口駅は猪谷側に移設され、 立派な駅舎が建っていました。地元の期待も大きかったと思います。 また、KM-101も製造されてから22年経っているのですが、綺麗で状態が良く、 社員の方々がピカピカに磨き上げていたのかな、と感じました。
 ただ、両替をしようとすると両替機が新札対応ではなく、運転士さんが対応していました。 やはり廃止が決まり、極力支出を抑えていたのでしょうか。 11月30日廃止も本格的な降雪シーズンとなると除雪費用が嵩むので前倒しで廃止したと聞きます。 地方鉄道は本当に冬の時代です。(2006年12月 T・O)



ダミーですが囲炉裏のあるサロンコーナーを備えていました。  2006年10月28日 奥飛騨温泉口駅