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弘南大鰐駅側線でキ105とともに除雪出動待機中のED22 1。 側面に明り取り用の窓や手摺りが増設されています。
2007年2月22日  弘南大鰐駅


 ボールドウィンと言えば、木曽のボールドウィンが有名なので、蒸気 機関車を思い浮かべてしまいますが、電気機関車の車体も製造していた んですね。今なお現役の80歳に驚いてしまいますが、新幹線を輸出する までに進化した日本の鉄道を見てきた生き証人をT・Oが撮影してきま した。
(2008年4月 H・T)
 近年はローカル線に乗っても吊り掛けの音は聞かなくなりましたが、 元々の私鉄(第三セクターではなく、という意味です)にはまだまだ面 白い車輌達がいます。
 このトップナーバーでも紹介した静岡鉄道のデワ1のように大切に保 存をされているもの、伊豆箱根鉄道大雄山線のコデ165(元国鉄モハ30 形;改番後はモハ11形→相模鉄道2000系→伊豆箱根鉄道モハ165→コデ 165に改造)のように事業車として頑張っているものなどです。  弘南鉄道のED22 1も大正生まれながら現役で頑張っています。元は、 信濃鉄道(現在の大糸線)が1926年(大正15年)にアメリカ(車体、台 車はボールドウィン社、電気機器はウェスチングハウス社製)から輸入し た小型電気機関車です。
 信濃鉄道時代は一緒に輸入された2両とともに「1〜3」が付与され1号機 でしたが、1937年(昭和12年)国有化により国鉄形式のED22 1となり ました。国有化後も引き続き大糸線で使用されていましたが、1943年 (昭和18年)飯田線に転出し、1948年(昭和23年)西武鉄道に譲渡され ました。西武鉄道では1形を名乗りましたが1950年(昭和25年)近江鉄 道に移るとED22 1に戻り、さらに1960年(昭和35年)そのままの形式 で一畑電気鉄道へ、そして同社が1974年(昭和49年)貨物営業を廃止し たため弘南鉄道に譲渡されたという経歴の持ち主です。本州の南から北 まで活躍したのは珍しいのではないでしょうか。
 弘南鉄道では大鰐線に在籍し、これまた貴重な車両となったキ105と 組み、冬場の除雪作業が主な仕事となっています。2007〜08年の冬も 従事しましたが、この姿いつまで見られるのでしょうか?
(2008年4月 T・O)