トップナンバーアルバム

となりのモ3551は両運を片運に改造したことがわかりますね。    昭和49年5月6日 須ケ口駅付近


 「私鉄電車のアルバム」は鉄研の編集となっていますが、参加希望者によるプロジェクト形式をとっていたので、 鉄研の部員が全員参加した訳ではありませんでした。 その編集メンバーにより写真撮影の取材が手分けして行われましたが、 時として連絡の行き違いで車庫に入れなかったり、色々なトラブルもありました。
 この日は先輩と名鉄の須ケ口駅に隣接する新川検車区にお邪魔しましたが、 目当ての車両がいないどころかガランとしていました。 「ウチは検車区が狭いので昼間もガラガラと走り廻っているんですよ」 と言われ、暇つぶしに本線を往く列車を撮っていました。 このネガ、何故か中間車ばかりが写っているのですが、 その一コマに写っていたのがク2551です。 大山管理人には「NG集が妥当」と言われそうな写真ですね。
 さて、ク2550形は昭和19年に11両が製造された3扉ロングシート車です。 相方のモ3550形は戦争の影響で電装品など入手できず、 日車構内で待機を余儀なくされ3年遅れで落成しています。 戦前の3400系(通称いもむし)から3600系、 3500系と名鉄では一段上昇窓が採用されています。 実質的に3500系の増備車である3550系にもこの伝統が受け継がれています。 最初に製造が着手されたモ3550形の5両は窓上部の隅にRがつき、 ヘッドライトが埋込式など戦前の香り残していましたが、 モ3550形の残り5両とク2550形11両では時節柄これらの装飾が省略されてしまいました。 ステップがあるため客用ドアが車体の下端まで伸びていますが、 現代の感覚では大手私鉄にこんなステップ付の電車がいたなんてちょっと不思議ですね。
 MT編成が10本の所帯ですが、取材中に何度か出会っているので他の画像も一緒にご覧いただくことにしましょう。 これら撮影後、昭和56年から廃車が始まり63年には全車引退しています。 (2015年5月 H・T)


新川検車区では気動車の検査も受け持っていました。

木曽川鉄橋を往くク2553   昭和50年2月28日 笠松-木曽川堤

モ3559です。こんな写真だったら胸を張ってトップナンバーに掲載できるのですが。  日付不明 茶所検車区