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5200系の貫通顔に5000系の窓配置を組み合わせたが、垢抜けた5200系から一歩後退の感は否めない。  昭和50年2月28日 茶所


 今月のT・Oの友情出演はJRモノになるようなので、私は私鉄モノにしようと、 私鉄電車のアルバムのネガを探したところ、名鉄モ5501が見つかりました。
 電車の世界では、戦前から続く釣り掛け駆動に対して、 昭和30年頃から実用化されたカルダン駆動の車両を高性能車と呼んでいましたが、 チョッパそしてVVVFとモーターの制御系が進化した現在では 「高性能車」という表現は違和感すら感じるようになってしまいましたね。
 また、今や冷房完備なんて当たり前、通勤電車にさえ固定窓の車両が出現するようになり、 あらためて過ぎ去った年月を感じる今日この頃です。こんなことを書くのも歳のせい、 そして今年は還暦なんですから、受け入れなくてはいけませんね。
 そんな高性能車のトップバッターは昭和28年に登場した京阪1800系である、 と私鉄電車のアルバムには書いてあります。 この分野では国鉄は出遅れており、昭和32年に登場した101系(登場時は90系)が最初です。 名鉄は京阪に遅れること2年、昭和30年に5000系、32年にはその改良版と言える5200系を、 そして34年に登場したのがこの5500系です。
 昭和34年には各社とも高性能車に移行していた時期ではありますが、 5500系最大の特徴は特別料金不要の日本初の冷房車ということなのです。 4連、2連各5本30両が製造され、6連を組んで本線の特急に使われました。 18m級2扉転換クロスシート(一部ロングシート)、オールMでMMユニットを組み、形式は先頭車と中間車で分け、 番号の奇数車と偶数車でユニットを組むこと、奇数車にMG、CP、偶数車に抵抗器、制御器、 パンタグラフを持つことは5000系、5200系、5500系に共通の仕様です。 国鉄が投入した80系に対抗したと言われていますが、だいぶグレードが上です。 形式と番号の付け方は、私が通学でお世話になった東急の7000系(初代)と同じなので妙な親近感があります。
 1960年の時刻表を開いてみると、名鉄の特急は新岐阜-豊橋を1時間40分代で走り、1時間間隔なので5本で足りるんですね。 一方、国鉄の電車(時刻表に電車の表示があります)は2時間を少し切る程度、間隔はやはり1時間程度です。 もっとも、この当時の国鉄は長距離の特急・急行がたくさん走っており、 日本の大動脈と地域交通を担う私鉄の対比には興味深いものがあります。
 昭和36年になると7000系パノラマカーが登場し、特急の座を明け渡すことになります。 使い勝手がよかったのか、平成12年に豪雨による浸水被害で廃車第一号が出るまで全車健在でしたが、 これ以降は順次廃車となり、平成15年にリバイバル塗装を施した3編成が17年に廃車され形式消滅しました。 (2014年8月 H・T)


先輩と一緒に撮りましたが、先輩がブローニー版で撮った写真は私鉄電車のアルバム3Bの268ページに掲載されています。
昭和50年2月28日 笠松-木曽川堤

復活塗装の4連です。前2両は昭和42年夏からのストロークリームに赤帯、 後2両は新製時のダークマルーンとライトピンクのツートン、
もう一編成は昭和43年末からのスカーレットに白帯でした。  ちなみに昭和45年からがスカーレット一色塗りになります。
平成15年11月16日  神宮前