トップナンバーアルバム

百の位が号車なのでこちら側が正統派のトップ(?)。
大井町線急行運転に向けて梶が谷駅のホーム横に電留線を新設中。
平成19年9月13日  梶が谷


 東急の地盤で育ったことから、東急には親しみを持っています。 で、地元で東急を撮っていると、ついでにメトロ車が撮れてしまいます。
 千代田線の6000系は画期的な電車でしたが、 有楽町線の7000系、そして半蔵門線もその流れを受けた8000系が投入されました。 6連でスタートした新玉川線が田園都市線と名前を変え、 8連そして10連と編成を伸ばす中で最後まで8連が残っていたのが8000系、 私の中での記憶はその程度だったのですが、 調べてみるとその増備はちょっと複雑でした。
 まず路線の変遷ですが、新玉川線が開業したのが昭和52年4月。 この時点では渋谷−二子玉川を東急車だけで折り返し運転されており、 新玉川線用に用意されたのがATC対応の8500系でした。 東横線の8000系の編成をバラして中間に組み込んでいたのも、 もはや昔話ですね。 翌53年8月に営団地下鉄の渋谷−青山一丁目が開業しますが東急車だけで運行。 54年8月には新玉川線から田園都市線へ全列車が直通運転を開始、 9月には青山一丁目−永田町が開業(当初は単線で暫定開業)します。 その後は57年12月に永田町−半蔵門、 平成元年1月に半蔵門−三越前、2年11月に三越前−水天宮前が開業。 平成15年3月に水天宮前−押上が開業して現在の姿になりました。
 8000系は永田町開業のあと昭和55年11月から56年2月にかけて8連2本、6連4本が登場しますが、 すぐに増備があり8連5本、6連1本になります。 翌57年は半蔵門開業用に3本の増備とともに全編成を8連化。 62年に3次車が増備されますが、これがイレギュラー。 編成番号12−14で10連3本が製造されますが東西線に投入。 半蔵門線には10連化用に10両が製造されますが番号が15−19。 これは当初計画が8連11本、10連11本だったことから10連の番号が12以降とされたものです。 63年には三越前開業用として10連1本(番号は11)と15−19編成の残り8両5本が増備されます。 また、11月から東西線の05系が営業に入り、ワンポイントの応援が終わります。 平成2年には水天宮前開業用に10連1本(番号は10)を増備、8連7本、10連12本となります。 平成6年の増備では8連の1−7編成が10連化されますが、 車体構造が変更になり外観が変わりました。 22本を予定していた8000系ですが、増備はこれで打ち切られ、 以降は08系にバトンタッチしました。
 今や通勤車でも冷房が当たり前の時代ですが、 3次車までは冷房準備車で落成、昭和63年から平成元年にかけて冷房改造を受けています。 4次車からは新製冷房車となり、営団で最初の全車冷房の線区となりました。
 平成17年からは更新工事が始まり、制御器がチョッパからVVVFになり6M4Tから5M5Tとなったほか、 車内にも手が入り、客用ドアがガラス窓の大きなタイプになりました。 元祖6000系は16000系への置換えで引退が間近ですが、8000系はまだ当分は活躍しそうですね。 (2016年12月 H・T)


番号的にはトップに見える10号車の8001。  平成26年7月18日  宮崎台−宮前平

田園都市線定番のお立ち台です。最終増備車の2両の車体が異なるのがわかります。   平成27年5月11日  つくし野−すずかけ台