トップナンバーアルバム

湯田中駅2番線に停車中のモハ2001+サハ2051+モハ2002のA編成です。
右側に停車中の2500系C1編成もクハ2551+モハ2501でトップナンバーです。
1993年11月21日 湯田中駅


 私の行動は「客車」がメインなので、客車を持たない電化私鉄にはなかなか足が向きません。 そんな訳で長野電鉄、上田交通、松本電鉄など信州に点在する私鉄には乗ったことがありません。 信州特集の第2弾は、りんご電車で有名な長野電鉄モハ2001をT・Oの友情出演でご覧ください。 (2013年6月 H・T)
 この写真を撮ったのは1993年(平成5年)です。つい最近のような気がしていました。 しかし、今年は2013年で、もう20年も経っています。 確かに、写っている車両や駅を見ると時代の流れを感じます。
 当時の湯田中駅は珍しい構造をしていました。写真の右側1番線はそのまま本線となりますが、 特急が発着していた2番線は、長野から登って来た列車がホーム中程の渡り線で2番線に入り、 そのまま県道を横切る形で引上線まできます。 そしてバックをして改めて2番線ホームに停車いたします。 湯田中駅が勾配と県道に挟まれ、3両分の水平なホームを建設することが出来ず、 やむなくこのような線形となりました。この特徴ある構造も、 小田急のHiSE10000系だった1000系導入時に2階運転席構造ではバック運転が難しいということで、 2006年9月に区間運休をして1面1線の大規模改修を行い消えてしまいました。
 また写真では隣に2500系(元、東急5000系)各停が止まっていますが、行先表示が長野となっています。 現在、特急は長野〜湯田中間運転ですが、各駅停車は長野〜信州中野と信州中野〜湯田中に分離され、 直通運転はなくなりました。
 駅や車両、運転区間などが時代とともに変化していますね。
 さて、2000系はこのトップナンバーを含む2編成が1957年(昭和32年)に日本車両で誕生しました。 ウェスティングハウス・エレクトリック社とナタル社が共同開発を行なった当時最新技術のWN駆動方式、 高速対応台車、セミモノコック車体、そして回転シートを採用するなど大手私鉄特急に負けない車両でした。 これを開発・製造できたのは、志賀高原へのスキーと観光客輸送を独占していた時代だからです。 その後、輸送量増加で1959年(昭和34年)、1964年(昭和39年)に1編成づつ増備され、 4編成で特急運用をこなしました。この頃、地方鉄道が一番輝いていた時代だったと思います。
 小田急から1000系(元10000系)が譲渡され、交代をしました。その後、1000系に不具合が見つかり、 一時特急「ゆけむり」に復帰したり、また特急運転50周年記念で登場時の塗装を施されましたが、 2011年3月に廃車となりました。(2013年6月 T・O)


1面1線のシンプルな構造となった現在の湯田中駅です。
右側の1番線ホーム跡は駅舎を利用した日帰り温泉施設となっています。
2012年2月27日 湯田中駅

A編成は2012年2月時点では須坂に留置されていましたが、現在は廃止された屋代線信濃川田駅で保存されています。 2012年2月27日  須坂駅