トップナンバーアルバム


千代田車庫で休んでいるモハ21001他4連    1974年7月17日 千代田車庫  撮影:M・N


 阪急のトップナンバーシリーズが完成を目前にしながら足踏みしていることに 気がついた方もいらっしゃるのではないでしょうか。阪急が大好きでトップの 画像を提供してくれていたM・Nとは高1以来の友人なのですが、残念なことに 病いに倒れ帰らぬ人となってしまいました。今月の友情出演は、M・Nの残した 写真にT・Oが現在の姿の写真を加え、解説を書いてくれました。(2008年2月  H・T)

南海時代のナンバーも健在
2007年8月19日 金谷駅  撮影:T・O
 2005年(平成17年)2月に急逝したM・Nが、学生時代に撮った南海電気鉄道 の高野線急行21000系のトップナンバー車です。実はこの車輌、阪急のトップ ナンバー8200で紹介した「大井川鉄道&阪急」の時、M・Nと私(T・O)が 千頭から金谷まで乗った車輌であります。井川から千頭まで戻ると、雷鳴が 轟き大雨が降ってきました。急いで列車に移るとこの21000系でした。最初は モハ21002に乗っていたのですが、彼がトップナンバーと気づき、先頭車の モハ21001に移り、転換クロスシートを楽しみながら金谷まで降りてきました。
 さて、高野線は汐見橋から極楽橋を結ぶ路線ですが、運転は南の中心、難波 から発着し岸ノ里まで本線の複々線区間を走り、高野山に向かいます。三日市町 までは平坦ですが、駅を過ぎると26‰勾配の和泉山脈を越え橋本に至り、さらに 高野下から極楽橋までは50‰の勾配と急カーブが続く山岳路線となります。  1980年ごろまでは、難波〜河内長野までが20m車の準急と各停、難波か ら終点の極楽橋までは特急「こうや」と急行で運転されていました。その後、 河内長野〜橋本は線路が改良され、20m車が入れるようになり、特急「りん かん」も運転をされるようになりましたが、橋本〜極楽橋間はいまだに17m 車となっています。
 21000系ですが難波〜極楽橋を結ぶ急行用としてモハ1251形15m車 に代わる車輌として本線の特急車11000系(昇圧時に下回りを更新し、1000 系となる)20m車を17mに縮め、塗装も同様として、1958年(昭和33年)〜 1964年(昭和39年)に製造されました。補償線輪付きモータを採用するこ とにより平坦線は高速運転、山岳線では低速度で大きな牽引力を出す車輌で あったため、カメラのズームレンズが広角から望遠まで焦点距離をあわせられ るのと同じ意味だと思いますが「ズームカー」と名付けられました。
 当初は1M方式で1両ごとにパンタがありましたが、1973年(昭和48年)10 月の昇圧を期に2両ユニットに改められいます。写真は昇圧後で手前よりモハ 21001+モハ21100+モハ21101+モハ21002で、理由は判りませんが先頭車は 1番から、中間車は0番から始まる車番となっています。
 1990年(平成2年)に2000系が登場すると置き換わる形で休車・廃車となり ましたが中間車(廃車・解体済)を抜いた2両編成で大井川鉄道に譲渡され、 今なお現役で頑張っています。
(2008年2月 T・O)


大井川鉄道に譲渡されたモハ21001+モハ21002    2007年8月19日 金谷駅  撮影:T・O
南海時代に白にブルー帯の新塗装となりましたが、譲渡の時に登場時の塗装に戻 されています