トップナンバーアルバム

平成20年10月26日  西所沢 このトップナンバー編成は平成25年12月に廃車になってしまいました。


 昭和25年に登場した前面2枚窓のクハ86形は、電車・気動車の顔のデザインに大きな影響を与え、 私鉄にも湘南顔を採用した車輌が登場しました。 そして、近年に至るまで多くの湘南顔の電車を製造したのは西武鉄道ですね。
 鉄道界を席巻した湘南顔ですが、実は私は好みではありません。 お顔には貫通扉が欲しい人なんです。 そして、城南地区に住んでいたので高田馬場、池袋、所沢といった西武沿線は中途半端に近くて遠い場所、 おまけに西武電車の色が好きではない、と三拍子揃っていたので西武電車にカメラを向けたことがありませんでした (西武鉄道ファンの方がいらしたらゴメンナサイ)。
 多分、初めて西武電車にカメラを向けることになったのは、 このトップナンバーアルバムに友情出演している友人のT・Oの誘いなのです。 もっとも、被写体は電車ではなく今は大井川鉄道に移籍した電気機関車でした。
 さて、西武鉄道の3000系ですが、昭和58年から8連9本が製造されています。 西武鉄道の中では少数派なんですね。 昭和44年の秩父開業に登場した101系は、新101系、301系と名前を変えながら勢力を拡大し、 この3000系へと繋がっています。
 3000系は101系の流れを受ける20m3扉車ではありますが、 電気品は2000系と同様の界磁チョッパ、電気指令ブレーキを採用したので、101系とは連結ができません。 車体は301系そっくりではありますが、前面、側面とも少しづつ変更点があります。 ここで西武に疎い私は素朴な疑問が。 4扉の2000系のほうが先なの?先だったんだ!と。 余談になりますが、2000系は新宿線の各停用に生まれたもので、国鉄63系の譲渡車を除けば初の4扉車、 新宿線の定時運行に貢献したのだそうです。 4扉車の所定数が揃うと、池袋線には3扉車の増備が行われたわけで、このあたりの拘り方は京急と似たものを感じます。 また、一次車はまだ仲が悪かった東急グループの東急車輌で製造されたことで話題になったそうです。
 そんな西武鉄道も混雑緩和を目的に4扉車の導入に方針が変換され、3扉車は風前の灯となってしまいました。 この3000系も半数強が廃車となり、現時点では4本が残るだけとなりました。 (2014年10月 H・T)


平成20年10月26日  元加治 この日のお目当てはこちらでした。