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1969年5月10日 東急玉川線 三軒茶屋付近    下高井戸からやってきたデハ201。


 玉電といえば多くの人がペコちゃんの愛称で親しまれたデハ200形を 思い浮かべるのではないでしょうか。 2車体連接式低床車とういうコンセプトは当時としては画期的であり、 各地で復活しつつある現在の路面電車に通じるものがあります。 そういう意味で200形はエポックメーキング的な車両であったことは間違いないでしょうが、 残念なことに当時としては技術的課題が多く短命に終わってしまいました。
 デハ200形は1955年に登場し6両(2車体連接で1両と数えます)が製造されました。 玉川線・渋谷−二子玉川間、三軒茶屋−下高井戸間で運用されましたが、 特殊な車体構造のため保守性が悪く、渋谷−二子玉川間の廃止時に 世田谷線に継承されることなく全車廃車となりました。 現在、204号が宮崎台駅に移転した電車とバスの博物館に保存されています
 さて、上の写真は渋谷−二子玉川間廃止の日(1969年5月10日)に三軒茶屋の分岐点付近で撮ったものです。 この日までは三軒茶屋−下高井戸間も玉川線でしたが、翌日から世田谷線に線名が変更されました。 沿道には最後の玉電を見ようとたくさんの人がでています。 この日の様子は 「玉電最後の日」 に掲載しています。
(2007年5月 T.O@管理人)




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