東洋活性白土


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   ポプラ並木の下で
 昭和45年9月、高校の期末試験後の休みを利用して「頸城鉄道を訪問した後、七尾線のC56を追い、帰りに東洋活性白土に寄って大糸線でまたC56を追う」という旅に出かけた。
 忙しく移動した早周りの旅の中で、この東洋活性白土専用線での半日はゆったりとした時間を過ごした。
 なにしろ全長は1kmに満たないのだから移動も少ないし、ポプラ並木を渡るさわやかな風を受けながら寝ころんで機関車を眺めたり、煙管掃除をしながら語ってくれる松沢さんの機関車の話に耳を傾けたりと、のんびりと気持ちの良い時間を過ごすことができた。
 本来の軽便鉄道とはジャンルが違うが、美しく手入れされた工場内の庭で協三工業製の2フィート蒸機が行き来する様子はまさしく「庭園鉄道」と呼ぶにふさわしく、他では味わえない趣があった。



協三工業製6t蒸機(通称2号機)
文字通り「庭園鉄道」
推進運転で積み替えホームに向かう

空の無蓋車を牽いて工場へ戻る
積み替えホームにて
左端が運輸課長!の松沢氏

タンク車を牽いて工場へ向かう
タンク車はピストン輸送
絶気運転で工場に向かう




今日の最終列車
 訪問した昭和45年当時はドコービルタイプの通称1号機は庫の中に押し込められたまま。協三の通称2号機が孤軍奮闘していたが、その後昭和48年頃から羅須地人鉄道協会による保存運動が始まり、台湾基隆炭坑の楠木製蒸機を始めとして数多くの車輌が集められ、線路増設や運転会など活発な活動が展開された。
 「最後の楽園」と称えらえ、再訪したいと思いながらも機会がないままにいたが、昭和57年10月をもって東洋活性白土は営業を止め、専用線も廃止された。
 羅須地人鉄道協会による保存運動は成田の「ゆめ牧場」で継承されているのは皆さんご存じの通り。






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