西大寺の亡霊達
1. 梅鉢の単端


写真をクリックすると拡大画像が表示されます



 西大寺鉄道の廃車体

 西大寺鉄道(後に合併して両備バス)は最後まで残った3フィートナローとして有名で、独特の「ラッキョウ煙突」を持ったコッペルや、西大寺観音院の「会陽」の際の長大編成など話題も豊富で、昭和37年に廃止されてからも趣味誌上にもよく登場しました。
 初めて西大寺鉄道を知ったのは、40年ほど前のTMS誌に載った中村汪介氏の記事だったと記憶していますが、この中で片運転台の無骨な2軸気動車、「単端」という奇妙な車輌の存在も初めて知り、それ以来気になっていながらも、実物はもう見ることはできないとあきらめていました。

 昭和47年の春、廃止1年後の井笠鉄道跡を歩いてストラクチャーを撮して歩いた後、ふと思い立って西大寺を訪れてみました。西大寺鉄道は廃止されてから10年も経っているので、何も残っていないだろうと思いながら、何か痕跡でもあればと思って西大寺市駅跡に行ってみると、驚いたことにまだ車輌が残っているではありませんか。しかもその中には夢にまで見たあの「単端」まで原形を留めていたのです。



    −その1−  梅鉢の単端

 「単端」キハ4は昭和6年10月に梅鉢鉄工場で製造された半鋼製2軸気動車で、キハ1〜3、5(キハ1、2は後にネコのような顔の流線型に改造されたが)の同型車があった。
 いかにも梅鉢らしいリベットだらけの鈍重な外観で、軽快さを誇った日車製の単端と好一対をなしていた。バスの部品を多く取り入れ、レールカーと称していた日車製の単端は文字通り自動車の延長上にあったのに対して、梅鉢製は客車を牽くことを前提としていて、小さいながらも鉄道車輌であることを主張していた。
 エンジンはトヨタ製に換装されていたが、ラジエーターグリルはフォードAのものを残していて、これが妙に似合っていた。
 外観は同じ梅鉢製の井笠鉄道ホジ7〜9と共通点が多く、比較的楽に模型化図面が引けそうだ。




廃車後10年も経っているとは思えない外観
ラジエーターグリルはフォードAのもの


後面貫通路のステップと手摺りが見える
キハ4の足回り


解体された車庫の瓦礫の中で
 最近まで車庫が残っており、このキハ4はその中に入れられていたという。傷みはそれほどひどくなく、現役時代を偲ぶには充分だった。
 この時点では長期保存も可能に見えたが、結局は解体されてしまった。現在も保存されている流線型のキハ3よりこちらの方が貴重な存在だっただけに、何とも残念なことだ。



  次回はボギー客車ハボ18、ハボ22を紹介します。




写真をクリックすると拡大画像が表示されます